1909年10月、米国南部チャタヌーガ。
寒い朝だった。連邦保安官 (U.S. Marshals) たちは、アトランタからやってくる貨車を、駅構内で待ち受けていた。
貨車が到着した。保安官たちは中身を押収した。シロップが詰まった容器が、ぴたり 大樽 (barrel) 40個と、小樽 (keg) 20個 ── 合わせて60個。
中身は、コカ・コーラのシロップだった。
これは GuidelineChecker のコラム 28本目である。前回の JAROってなんじゃろ、1974年 で「米国の Better Business Bureau (BBB) を範に取った」と書いた。今回は、その BBB が、なぜ1912年に米国で生まれたかの物語である。FTC、1914年 より2年早く、業界自身が「広告は嘘をつかない」と誓った夏である。
チャタヌーガの押収
1906年、米国議会は Pure Food and Drug Act (純粋食品医薬品法) を可決していた。
きっかけのひとつは、アプトン・シンクレアの『ジャングル』── 食肉産業の暗部を告発した小説。世論が煮え立ち、議会が動いた。執行を任されたのは、米国農務省化学局長 ハーヴェイ・ワシントン・ワイリー (Harvey Washington Wiley)。
ワイリーは、コカ・コーラを狙っていた。
理由は2つあった。
第一に、カフェインは健康に害する「有毒または有害な成分」(poisonous or deleterious ingredient) ではないか。
第二に、商品名「Coca-Cola」は コカ (coca) と コーラ (kola) を含むかのような名称だが、実際にはそのどちらも(ほぼ)入っていない。ラベル偽装 (misbranding) ではないか。
そして1909年10月、チャタヌーガで押収が起きた。
裁判の名前は、こうなった。
United States v. Forty Barrels and Twenty Kegs of Coca-Cola。
米国 対 大樽40個と小樽20個のコカ・コーラ。物が被告人の、奇妙な訴訟だった。
裁判が正式に始まったのは、1911年3月13日。米国広告史で、政府が虚偽広告問題に本気で介入した象徴的な事件である。
最終的に、1912年、ワイリーが退任して連邦は熱意を失い、コカ・コーラは自発的にカフェイン量を減らして和解した。だが、「広告と表示の真偽を社会が問う時代」は、もう動き出していた。
Printers' Ink の警告
新聞や雑誌の広告を売り買いする業界には、もう一つの動きがあった。
1888年、ジョージ・P・ローウェル (George P. Rowell) が、米国初の全国広告業界誌 Printers' Ink を創刊する。週刊。広告業界の動向、新しい広告技法、業界の倫理 ── 何でも扱った。
そのPrinters' Ink が、1911年、業界の問題に踏み込んだ。
虚偽広告が、社会の信頼を蝕んでいる。同誌は、法律家 ハリー・D・ニムス (Harry D. Nims) を雇って、虚偽広告を罰するためのモデル州法 ── Printers' Ink Model Statute ── を起草させた。
中身は明快だった。虚偽広告は misdemeanor (軽犯罪) とする。しかも strict liability ── 「だます意図」を立証する必要はない。広告が虚偽なら、それだけで罪に問える。
このモデル州法は、各州議会に伝えられ、採用された。1931年までに 44州が採用したとされる。
ただし、実際の起訴は多くなかった。検察リソースの問題が大きかった。
それでも、Printers' Ink Model Statute は、米国広告法史の最初の体系的な虚偽広告規制だった。
ボストンの誓い
1911年7月、ボストン。
米国の広告業界団体 AACA (Associated Advertising Clubs of America、現American Advertising Federation) が年次総会を開いていた。
そこに、テキサス州ダラスから、87名の代表団が乗り込んだ。他のテキサス系広告クラブからもさらに 約50名。合わせて百名超を、9両編成の特別列車で運んできた。
ダラス Ad League の目的は、翌年大会の招致だった。だが、彼らはもう一つ大きなものを持ち込んだ。
ある決議の草案である。
「We believe in truth, the cornerstone of all honorable and successful business」── 我々は真実を信じる。それはすべての名誉ある商売、成功する商売の礎である。
Truth in Advertising 運動の誕生だった。
ボストン総会は、ダラスを翌年開催地に決めた。そして、業界自身が広告の真偽を律する方針 ── 業界自主規制 ── を掲げ始めた。
ダラスの夏
1912年、ダラス。AACA総会が開かれた。
そこに登壇したのは、サミュエル・キャンドラー・ドブス (Samuel Candler Dobbs)。1868年ジョージア州 Carroll County 生まれ、コカ・コーラ社の営業部長。
奇しくも、コカ・コーラ。1909年に押収されたあの会社の幹部だった。
ドブスは、1909年から AACA会長を務めていた。Truth in Advertising 運動の旗手になった人物である。1911年には「Ten Commandments of Advertising」(広告十戒) の起草にも関与していた。
ダラス総会で、AACAは決議した。
National Vigilance Committee (全国警戒委員会) を設立する。
業界執行役員が自分たちで広告を律する。「広告は嘘をつかない」── 業界自身が、業界の広告を監視する仕組みを作る。
委員会は ボストンを本拠に発足し、全米各地でローカルの Vigilance Committee が並行設立されていく。
ダラスの夏。米国広告自主規制の起点は、ここに置かれた。
Minneapolis から世界へ
1914年、ミネアポリス (ミネソタ州)。
この街で、「Better Business Bureau」を名乗る最初の組織が産声を上げた。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1912年 | National Vigilance Committee 設立 (ボストン) |
| 1914年 | 最初のローカルBBB (Minneapolis) |
| 1914年9月26日 | FTC法成立 ── 行政側の規制機関も生まれる (詳細: FTC、1914年) |
| 1916年 | National Vigilance Committee が Better Business Bureau に正式改称 |
| 1970年 | Council of Better Business Bureaus (CBBB) 設立 ── 全米92のローカル局を連合 |
| 1971年 | NAD (National Advertising Division) と NARB (National Advertising Review Board) 設立。AAF + AAAA + ANA + CBBB の4団体共同 |
| 2019年 | CBBB 再編 ── IABBB + BBB National Programs に分割 |
1916年の改称は、ただの名前換えではなかった。「Vigilance Committee (警戒委員会)」より「Better Business Bureau」のほうが、業界自身の権威感が強く出る。
「Bureau」── 米国では Federal Bureau of Investigation (FBI) のような 政府機関の「局」 に使われる語である。業界自主規制機関が、自分たちは官庁同等の役割を担うと宣言した名称だった。
業界自主規制 (BBB) と行政規制 (FTC) は、2年差で生まれて、その後 110年以上、米国で併走してきた。
ダラスの夏に Dobbs が掲げた「業界が広告を律する」原則は、 NAD・NARB に引き継がれ、今日もインフルエンサー投稿やAI生成広告に向けられている。
太平洋を渡って
1970年、サンフランシスコ。
電通専務 島崎千里 (52歳)、半身不随。妻の介助で米国に渡った24人の視察団 ── 訪問先は、サンフランシスコ、シカゴ、デトロイト、ニューヨーク、ワシントン、ロサンゼルス。各地のBBB事務所を歴訪した。
彼らが学んだのは、ダラスの夏から58年生き続けた仕組みだった。
帰国した視察団は、「アメリカBBB調査団報告書」(124ページ、A5判) を1970年11月に発行。日本広告業界に、米国の自主規制を紹介した。
4年後の 1974年8月28日、東京会館 ── 日本広告審査機構 (JARO) が誕生する (詳細: JAROってなんじゃろ、1974年)。設立総会には、BBB の National Advertising Review Board (NARB) の代表が来日して、挨拶を述べた。
ダラスの夏 (1912) からボストンの誓い (1911) を経て、東京会館の夏 (1974) へ。
「広告は嘘をつかない」 ── たった一行の業界の誓いは、太平洋を越え、62年を歩いて、日本に着いた。
そしてその先には、Instagram のインフルエンサー投稿、TikTok のレビュー動画、化粧品ECの商品ページ ── 21世紀の広告が並んでいる。
FAQ
Better Business Bureau (BBB) とは何ですか?
米国の業界主導の広告・商取引自主規制機関で、世界最古の広告自主規制機関とされます。1912年にAACA (米国広告クラブ連合会) のダラス総会で National Vigilance Committee として発足、1916年に Better Business Bureau に改称しました。米国・カナダで 92の独立した地方BBB (International Association of Better Business Bureaus, IABBB が連合) が運営され、苦情処理・企業認定 (accreditation)・誇大広告監視を行います。法的措置はできず、業界自主規制の枠内で活動します。
Truth in Advertising 運動は誰が始めましたか?
1911年7月のボストン AACA総会で、ダラス Ad League から特別列車で乗り込んだ代表団が「広告は真実を伝えるべきだ」という決議を持ち込んだのが起点です。中心人物は サミュエル・キャンドラー・ドブス (Samuel Candler Dobbs, 1868-1950) ── コカ・コーラ社の営業部長で、1909年から AACA 会長を務め、1911年「Ten Commandments of Advertising」起草、1912年 Vigilance Committee 設立をリードしました。後にコカ・コーラ社長 (1919-1920) にも就任しています。
Printers' Ink Model Statute とは何ですか?
1911年、米国の広告業界誌 Printers' Ink が法律家 ハリー・D・ニムス に起草を依頼した、虚偽広告を misdemeanor (軽犯罪) とするモデル州法です。strict liability (厳格責任) を採用し、「だます意図」を立証しなくても虚偽広告だけで罪に問える設計でした。1931年までに44州が採用し、米国広告法史の最初の体系的な虚偽広告規制となりました。1964年の Uniform Deceptive Trade Practices Act に置き換わっています。
BBB と FTC はどう違いますか?
BBB は 業界自身が広告を律する自主規制機関 (1912)、FTC は 連邦政府が広告を律する行政機関 (1914) です (詳細: FTC、1914年)。両者は2年差で生まれ、110年以上米国で併走してきました。BBB は法的措置 (罰金・課徴金) はできず、苦情処理と業界改善要請に限られます。FTC は措置命令・違反金・差止めなど強い権限を持ちます。NAD/NARB (BBB傘下、1971設立) と FTC の二重チェックが、米国広告自主規制の標準モデルです。
BBB はいまどのくらいの規模で活動していますか?
米国・カナダで 92の独立した地方BBB を IABBB が連合し、毎年膨大な数の苦情を受け付けています。2024年の IABBB 調査 (認定企業13,000社回答) では、80%が他社へのaccreditationを推奨、87%が「accreditationが顧客との信頼構築に役立つ」と回答。認定企業からの自発的会費が主な財源で、accreditationのない企業への苦情処理も含めて、米国広告自主規制の基幹を担っています。