1974年(昭和49年)8月28日、東京・千代田、東京会館。
夏の昼下がりだった。広告主、新聞社、出版社、放送会社、広告会社、広告制作会社 ── 業界の主だった顔ぶれが、ひとつの大広間に集まっていた。
加入会員 110社。協力機関 150団体。参加者、およそ300人。
議長席に立った設立準備委員長は、宣言を読み上げた。
「広告に真実を」。
これは GuidelineChecker のコラム 27本目である。前回の 1980年10月9日 — 広告の言葉が書き換えられた日 で、「業界が動いてから6年、行政がようやく追いついた」と書いた。今回は、その「業界」が誰だったかの物語である。景表法でも薬機法でもなく、業界自身が広告を律してきた仕組みが、ここで生まれる。
半身不随で渡米した男
時計を、4年前に戻す。
1970年(昭和45年)。電通専務、島崎千里、52歳。
彼は、日本の広告業界が編成した米国視察団の団長に決まっていた。米国の Better Business Bureau ── BBB ── を見るためである。
BBBは、1912年に米国で設立された、世界最古の広告・商取引の自主規制機関だった。92もの独立した地方BBBが連合して、米国とカナダの広告と商取引を律していた。
訪問先と日程は決まっていた。視察団は24名。副団長に田辺製薬東京支店の安達義幸と、日本経済新聞社の山崎武敏。電通からは 高橋一朗 (後の副社長)。「借金して参加費用を捻出した」女性コピーライター 岡橋葉子 もいた。
ところが、出発直前、島崎は脳血栓で倒れた。
半身不随。妻は「行かないで」と止めた。だが島崎は妻の介助を受けて、空港へ向かい、飛行機に乗った。
帰国後、高橋一朗が回想している。
「23人分の頭とカバンの中身は、BBBだらけだった」。
視察団は、米国でBBBの仕組みを徹底的に学んで、帰国した。
「日本版BBB」が「日本広告審査機構」になった日
帰国した彼らは、すぐに動いた。
京都大学の経済学者 伊東光晴 邸を、朝日新聞・読売新聞の広告局長が訪ねている。「スポンサーの要求に対して、広告の真実性と質をどう確保するか」 ── 議題は、それだった。
伊東は、同じ問題意識を持っていた 中山伊知郎 (一橋大学名誉教授・初代学長)、都留重人 (一橋大学経済研究所初代所長) らに声をかけた。第二次物価問題懇談会で議論してきた仲間である。
設立準備会が、立ち上がる。
最初の構想は、シンプルだった。「日本版BBB」を作る。米国の仕組みを、そのまま移植する。
だが議論の中で、結論が変わった。
BBBは商取引全般を扱う組織である。広告・表示問題は、その一部にすぎない。日本の業界にとって、いま緊急に必要なのは「広告と表示を律する仕組み」だった。
「広告関係者からの発意を明確にする意味からも、広告・表示問題から入るべき」 ── 設立準備会はそう判じた。
名称も「日本版BBB」ではなく、独自のものに決まった。
日本広告審査機構。Japan Advertising Review Organization。略称 ── JARO。
東京会館の夏
1974年(昭和49年)8月28日、東京会館で設立総会が開かれた。
議長を務めたのは、全日本広告連盟会長で設立準備委員長の 河口静雄 (東京12チャンネルテレビ専務取締役)。そのまま初代理事長に選任された。
審査委員長には、東京大学名誉教授・有澤廣巳が委嘱された。戦後日本の経済政策に深く関わった経済学者である。
苦情処理システムの設計を引き受けたのは、慶應義塾大学の助教授 小野桂之介。設立総会の直後から、ゼロから組み立てた。
要人も来た。前月まで通商産業大臣を務めていた 中曽根康弘が、出席した。米国 BBB の National Advertising Review Board (NARB) からは代表が来日して、挨拶を述べた。
1973年のオイルショックから1年。狂乱物価、買い占め騒ぎ、マルチ商法、合成洗剤追放運動 ── 消費者の企業不信は深まる一方だった。
「業界が、業界の広告を律しなければならない」 ── 業界の側にも、そういう自覚が芽生えていた。
そして1974年10月15日、社団法人の認可が下りた。所管は通商産業省と経済企画庁。異例のスピード許可と評された。
設立総会から、わずか48日後だった。
54件から始まった
JAROの最初の半年で、寄せられた苦情は54件だった。
| 年度 | 苦情件数 | 媒体首位 | 業種首位 |
|---|---|---|---|
| 1974 (半年) | 54件 | 新聞 | 不動産 |
| 1975 | 257件 | 新聞 | 食料品 (健康食品含む) |
| 1976 | 408件 | 新聞 | (主に食料品) |
| 1977 | 577件 | 新聞 | (主に食料品) |
| 2023 | 10,874件 | インターネット | 医薬部外品・健康食品・オンラインゲーム |
初年度の業種首位は 不動産。土地神話の終わりに、虚偽・誇大広告が並んだ。
翌1975年、首位は食料品に変わった。当時はまだ一般食品と健康食品を区別していなかったが、すでに 健康食品の医薬品的効能効果の暗示に苦情が集中し始めていた。
50年で、累計約 26万件 の苦情を JARO が受けた。
媒体首位の変遷も、時代を映している。
| 期間 | 媒体首位 |
|---|---|
| 1974-1989 | 新聞 |
| 1990 | テレビが新聞を超える |
| 1993 | 折込チラシ急増 |
| 2003-2018 | テレビ |
| 2019- | インターネット |
紙からテレビへ、テレビからスマホへ。媒体が変わっても、苦情の流入は止まらなかった。
「よーく効く」と「広告に真実を」
1978年(昭和53年)、JAROの審査委員会に、ある医薬品のテレビCMへの苦情が届いた。
「○○によーく効きます」というキャッチフレーズ。CMを観た視聴者から、「これではぴたりと治るかのような誤認を与える」という指摘だった。
JAROは、これを 誇大広告と認定した。事例集43に記録されている。
このとき、医薬品の広告基準を所管する厚生省は、まだ動いていなかった。
行政が 医薬品等適正広告基準 (薬発第1339号) を全面改定するのは、2年後の1980年10月9日である。
業界が動いてから、6年。行政が、ようやく追いついた。
JAROのスローガン「広告に真実を」は、行政の動きを待たない自主規制の宣言だった。所管が公正取引委員会と経済産業省でありながら、薬機法 (当時の薬事法) の領域にも踏み込む ── これがJAROの設計だった。
JAROってなんじゃろ
1984年、設立10周年。
PR部会では、JAROを世間に知ってもらう新しい広報コピーを議論していた。いくつかの案が出た中で、部会員のひとりが強く推したのが、駄洒落調のひと言だった。
JAROってなんじゃろ。
「親しみやすい」。その推薦が通った。
このコピーは、半世紀にわたって日本人の記憶に刻まれた。林家木久扇、林家木久蔵 (2代目) ── 落語家が起用された時期もある。茶の間で、駄洒落と一緒に「広告審査機構」という言葉が、繰り返された。
そして2024年、JAROは50周年を迎えた。
累計苦情、約26万件。年間 約1万件。媒体は新聞からテレビ、そしてインターネットへ。
業界が業界を律する仕組みは、半世紀続いて、いまも動いている。
三本目の柱
景表法 (1962年) は、国家が広告の真偽を律する仕組みだった (詳細: ニセ牛缶、1962年)。
公正競争規約 (景表法第31条、1963年〜) は、業界別の法定自主規制だった (詳細: 不動産、1963年)。
そして1974年のJAROは、業界横断の任意自主規制だった。広告と表示なら、業種を問わず受け付ける。法的強制力はない。だが「行政が動く前」のフィルターとして、半世紀働いた。
国家、業界別、業界横断。広告を律する 三本の柱 が、ここで揃った。
1980年に厚生省が医薬品の広告を律し、2014年に景表法が課徴金の牙を持ち、2023年にステマ規制が走り出した。そのどれもが、JAROが先に受け止めた苦情の上に、行政の制度として書き直されたものだった。
東京会館の夏、1974年8月28日。
そこに集まった300人が立ち上げた仕組みは、半世紀後の Instagram のインフルエンサー投稿にも、TikTok のレビュー動画にも、いまも届いている。
「広告に真実を」 ── 設立宣言の6文字は、JAROの掲げる旗として、まだ降ろされていない。
FAQ
JAROとは何ですか?
公益社団法人 日本広告審査機構 (Japan Advertising Review Organization) の略称です。1974年8月28日に設立された、日本初の業界横断型の広告自主規制機関。米国 Better Business Bureau (BBB、1912年米国設立) をモデルにしましたが、商取引全般ではなく広告・表示問題に絞った独自の組織として設計されました。所管は内閣府 (公正取引委員会) と経済産業省。法的措置 (措置命令・課徴金) はできず、苦情処理・誇大広告認定・業界改善要請を行います。
なぜ「JAROってなんじゃろ」と呼ばれているのですか?
設立10周年の1984年、PR部会が新しい広報コピーを議論した際、部会員のひとりが「親しみやすい」として推したのが「JAROってなんじゃろ」でした。駄洒落調で覚えやすく、半世紀にわたって日本人の記憶に残るキャッチコピーになりました。林家木久扇・林家木久蔵 (2代目) などの落語家が起用された時期もあります。
JAROと景表法・薬機法はどう関係しますか?
JAROは法令そのものを所管せず、業界横断の自主規制機関として、景表法・薬機法・特商法・食品表示法すべての領域で苦情を受け付けます。1978年には医薬品CMの「○○によーく効きます」を誇大広告と認定、これは厚生省が医薬品等適正広告基準を全面改定した1980年より2年早い動きでした。行政の動きを待たないフィルターとして機能してきました。
JAROと公正競争規約の違いは何ですか?
公正競争規約 (景表法第31条) は 業界別 の法定自主規制で、不動産・自動車・化粧品など業種ごとに公正取引協議会が運用します。一方JAROは 業界横断 の任意自主規制で、すべての業種の広告・表示を扱います。法的強制力は両者ともありませんが、公正競争規約は景表法に位置づけがあり、JAROは独立した社団法人の活動として運営されます。
累計でどのくらいの苦情を受けてきましたか?
設立から50年 (1974-2023) で累計 約26万件。初年度1974年度 (半年) は54件でしたが、2017年度に年間1万件を初めて超え、2023年度は10,874件でした。媒体首位は新聞 (1974-1989) → テレビ (1990-2018) → インターネット (2019-) と推移し、2024年には設立50周年記念サイト「苦情の50年史」が公開されました。