茶の間に、覚醒剤があった。
1949年(昭和24年)に連載された新聞漫画『似たもの一家』に、こんな一コマがある。子どもが、親の薬と間違えてヒロポンを飲んでしまう。
笑い話として描けるほど、それは日常の風景だった。
薬局へ行けば、印鑑ひとつで買えた。瓶のラベルには、堂々とこう刷られていた——「除倦覺醒劑」。倦怠を除く、覚醒の剤。
覚醒剤である。
受験生が徹夜の勉強に使い、夜勤の労働者が眠気覚ましに打ち、原稿に追われる作家が机に向かうために腕をまくった。疲れたら飲む、眠ければ打つ。それは戦後の日本で、ごくありふれた選択だった。
これは GuidelineChecker の編集部が書く、コラムの 22本目、薬機法シリーズの 2本目である。21本目 万病に効く、1914年 で、コレラと医師不足の時代に「万病に効く」と謳われた万能薬に、国がはじめて「効くなら、証明せよ」と効能の事前審査を課した日を辿った。今回はその37年後、薬局で覚醒剤が合法的に売られていた時代の話である。
疲労の防止と恢復に
ヒロポンを作っていたのは、大日本製薬(現・住友ファーマ)だった。
発売は1941年(昭和16年)。商品名「ヒロポン」は、ギリシャ語の philoponos——「労を厭わない」「仕事を愛する」——に由来する。「疲労がポンととれるから」というのは、後からついた俗説だ。
新聞広告のコピーは、こう謳った。1942年(昭和17年)8月、「疲労の防止と恢復に!」。
効能書きは、さらに踏み込んでいた。市販薬時代の添付文書には、こう書かれている。
本剤は副作用なき強力なる中枢神経興奮剤にして、精神的及び肉体的活動を著明に亢進し、判断力、思考力の増加と体力、作業能の高揚を来す
そして念を押すように、「著明なる習慣性なし」「禁断現象なし」。依存性は、公式に否定されていた。
いま、同じ成分の薬の添付文書を開くと、最初に書かれているのは「依存性」の三文字だ。七十年で、効能書きは正反対になった。
売っていたのは、大日本製薬だけではない。1940年代には20社を超える製薬会社が、覚醒剤を製造していた。武田の「ゼドリン」は「睡眠除去」を謳い、芝居の筋書きにまで広告を出した。覚醒剤を売ることは、当時、まっとうな製薬業だった。
後年、大日本製薬は自社の社史でこぼしている。ヒロポンという商標が覚醒剤の代名詞になってしまったのは「甚だ迷惑」だ、と。だが、その名を疲労回復の象徴に育てたのは、ほかならぬ広告だった。
四十万種が六千種になった年
ヒロポンが薬局の棚に並んだ1943年(昭和18年)は、奇しくも、日本で初めて「薬事法」という名の法律ができた年でもあった。
それは、薬の安全を守る法ではなかった。薬律(明治)・売薬法(大正)・薬剤師法など、それまで医薬品を縛っていた諸法令を、戦時の国家総動員体制が一本に束ねた器だった。目的は条文に明記されている——「国民体力ノ向上」。つまり、戦争のためだった。
製造業は許可制になり、統制前には約40万種あったといわれる薬が、約6,000種にまで絞られたとされる。江戸時代以来の家伝薬の多くが、ここで姿を消した。
その同じ統制の枠の中で、覚醒剤は「疲労に効く正規の医薬品」として売られていた。軍は、夜間飛行のパイロットや軍需工場の工員、そして特攻隊員に、これを支給したとされる。
戦争に役立つ薬だったからだ。「危ないから禁じる」という発想は、まだ法のどこにもなかった。
腕をまくる作家たち
1945年(昭和20年)、戦争が終わった。
軍がため込んでいた大量のヒロポンが、行き場を失って市中に流れ出した。薬局でも安く手に入る。「眠くならない薬」「疲れのとれる薬」として、それは学生、受験生、新聞記者、夜働く者たちへ広がっていった。
作家たちも、腕をまくった。
坂口安吾は、随筆『安吾巷談』(1950年)のなかで、同時代の作家をこう描いている。
織田作之助はヒロポン注射が得意で、酒席で、にわかに腕をまくりあげてヒロポンをうつ
安吾は続ける。「当時の流行の尖端だから、ひとつは見栄だろう」と。その織田作之助は、結核を抱えたまま執筆を続け、1947年(昭和22年)1月、33歳で世を去った。安吾自身もヒロポンを手放せず、1955年(昭和30年)に48歳で倒れている。
「ポン中」という言葉が、生まれた。ヒロポン中毒の略である。
五万五千人
蔓延は、数字になって現れた。
警察庁の白書によれば、乱用がもっとも激しかった1954年(昭和29年)、覚せい剤取締法違反での検挙は55,664人に達した。潜在的な乱用者は50万から100万人、中毒による精神障害者は約20万人と推計された。当時の日本の人口は、約8,800万人である。
百人にひとりが、この薬に手を出していた計算になる。
薬は、社会のいちばん無防備な場所にまで届いていた。1954年(昭和29年)4月、東京・文京区の小学校。女子トイレで、2年生の女児が中毒者の青年に殺害された。
「魔法の薬」がもたらした暗転は、もはや笑い話ではなかった。茶の間の一コマ漫画から、わずか数年のことだった。
国は、動かざるをえなくなった。
広告では、止まらなかった
最初に国が手をかけたのは、やはり「表示」と「広告」だった。
1948年(昭和23年)、覚醒剤を劇薬に指定する。翌1949年(昭和24年)には「疲労予防」の表示を消すよう指導し、販売を制限した。1950年(昭和25年)には製造の数量を割り当て、同年11月、大日本製薬はついにヒロポンの製造を中止した。
だが、止まらなかった。
これらはすべて罰則を伴わない行政指導であり、従わない業者を排除できなかった。割り当てを大幅に超えて覚醒剤を作り続けるメーカーさえ現れた。そして何より、すでに市中にあふれた薬を「使う人」を、当時の薬事法は取り締まれなかった。薬事法は、薬を作り売る者を縛る法であって、使う者の乱用を想定していなかったからだ。
そこで国は、発想を変えた。
1951年(昭和26年)6月、覚せい剤取締法が成立する。政府が出した法案ではなく、与野党の議員が共同で起草した議員立法だった。中心になったのは、元・日本医師会長の中山壽彦。提案理由で、彼はこう述べている。現行の薬事法規は「使用者の乱用は予定も規定もしていない」——そこに取締りの限界がある、と。
この法律の核心は、第14条の「所持禁止」に置かれた。売買の現場を押さえなくても、誰に売ったかを立証できなくても、「持っているだけで違法」にする。広告でも表示でもなく、薬そのものの存在を断つ規定だった。
効果は、数字に出た。1954年に5万5千人を超えた検挙者は、1958年(昭和33年)には271人——ピークの0.5%にまで落ちた。
もっとも、これを法律だけの手柄とするのは、おそらく正しくない。徹底した取り締まり、薬の恐ろしさを知った世論、そして啓蒙が、同じ方向へ重なった結果だった。だが少なくとも、「持つだけで罪」という一線が引かれるまで、この薬は止まらなかった。
律する薬と、禁じる薬
1914年(大正3年)の売薬法は、「万病に効く○○丹」という嘘の効能を縛る法だった。広告に書かれた言葉の真偽を、国家が問い始めた起点である。
ヒロポンも、はじめはその延長線で扱われた。「疲労に効く」という表示を消させ、広告を縛る。売薬法が引いた「効能表示の規制」の射程で、なんとかしようとした。
だが、ヒロポンは「効能が嘘」の薬ではなかった。むしろ効きすぎて、害になる薬だった。言葉を直せば済む不当表示とは、わけが違った。広告をいくら縛っても、薬そのものが人を蝕むのを止められない——広告規制の射程が原理的に届かない領域が、ここで露わになった。
だから日本の薬は、二つに分かれた。広告で律する薬と、存在そのものを禁じる薬に。覚せい剤取締法は、その分かれ道だった。
残された「広告で律する薬」の系譜は、その後も続く。戦後の薬事法改正で誇大広告の禁止が罰則付きになり、1960年(昭和35年)の薬事法で、誇大広告を禁じる第66条が確立した。この条文は、いまの薬機法にそのまま受け継がれている。
「効くなら、証明せよ」。売薬法が引いたその線は、太くなりながら現代に届く。
そして今日も、サプリメントの広告に「飲むだけで痩せる」と書いた瞬間、その商品は薬機法上の医薬品とみなされ、規制の対象になる。茶の間にあった覚醒剤の効能書きから、地続きの話である。
FAQ
ヒロポンとは何ですか?
メタンフェタミン(覚醒剤)の商品名です。大日本製薬(現・住友ファーマ)が1941年に発売し、戦中は軍需に、戦後は「疲労回復薬」として薬局で市販されました。1951年の覚せい剤取締法により規制対象となりました。
なぜ覚醒剤が合法的に売られていたのですか?
当時、覚醒剤は依存性などの危険性がほとんど知られておらず、「疲労に効く有効な医薬品」と考えられていたためです。戦時下では兵士や工員の労働力・戦力増強に役立つとされ、国策とも合致していました。「危険だから禁じる」という発想が法律に組み込まれるのは戦後のことです。
覚せい剤取締法はいつできたのですか?
1951年(昭和26年)6月30日に公布、7月30日に施行されました(昭和26年法律第252号)。議員立法で、薬の所持・使用そのものを犯罪とした点が画期でした。薬事法が薬を作り売る者を規制するのに対し、覚せい剤は別の取締法に切り出されました。
ヒロポンと薬機法はどう関係しますか?
ヒロポンは当初、薬事法(現・薬機法)の枠内で劇薬として扱われました。しかし広告・表示・製造の規制では乱用を止められず、薬事法から切り出して1951年に覚せい剤取締法が作られました。「広告で律する薬」と「存在を禁じる薬」が分かれた分岐点であり、前者の系譜が1960年薬事法の誇大広告規制(第66条)、現在の薬機法へとつながります。
「疲労をポンととる」がヒロポンの由来というのは本当ですか?
俗説です。商品名「ヒロポン」はギリシャ語の philoponos(労を厭わない、仕事を愛する)に由来します。「疲労がポンととれるから」という語源は、後から広まった俗説です。