薬機法 読了 10 分

万病に効く、1914年 — 薬機法の誇大広告規制が始まった日

明治の新聞広告は「万病に効く」と叫んでいた。コレラが一夏に10万人を殺し、医師は全国に5,300人ほど。医者にかかれない庶民にとって、万能薬は希望だった。ただ、その薬が本当に効くのかは、誰も確かめなかった。

国の本音すら「無効無害主義」——効かなくてよい、害さえなければ。その方針が「効くなら、証明せよ」へ覆ったとき、日本で初めて医薬品の誇大広告を禁じる法律が生まれた。1914年の売薬法である。

目次 (9 章)
  1. 死者10万人の夏
  2. 薬の外交官
  3. 先用後利と、ある腹痛の伝説
  4. 無効無害主義
  5. 効くなら、証明せよ
  6. 万病に効く、1914年
  7. それから110年
  8. FAQ
  9. 参考文献

明治のある日の新聞を開くと、広告が躍っていた。

ばい毒撲滅時期来る 俊効偉大 最新薬発見せり」。別の薬は「1ヶ月で全治保証」と刷り込んだ。腹の中の毒を掃き出すというその丸薬は、効きが早すぎて「一月丸」とまで呼ばれた。

梅毒も、淋病も、胃の病も、婦人の悩みも。ひとつの薬で、たちまち治る。そう書いてあった。

ラベルは「万病に効く」と言っていた。中身が本当に効いたのかは、誰も確かめなかった。

これは GuidelineChecker の編集部が書く、コラムの 21本目である。これまで 20本にわたり、ニセ牛缶、1962年 から 景表法改正、2024年 まで、景表法 ── 食品偽装と過大景品の取り締まりに始まり、ステマや AIフェイク広告にまで広がる「表示と景品」の歴史を辿ってきた。本記事から、広告規制のもう一本の柱、薬機法シリーズが始まる。最初は、医薬品の広告規制が日本ではじめて姿を現した日、1914年の売薬法である。


死者10万人の夏

なぜ、そんな薬が売れたのか。

当時の日本では、病気は身近な死だった。コレラが繰り返し上陸した。

1879年(明治12年)の流行では、患者およそ16万人、死者は約10万人。1886年(明治19年)にはさらに激しく、患者15万5,923人、死者10万8,405人。かかった者の約7割が死んだ計算になる。

その恐怖を前に、医者は足りなかった。1883年(明治16年)、内務省の免許を持つ医師は全国で約5,300人。人口は約3,800万人だった。庶民が医師にかかるのは、容易なことではなかった。

だから人々は、薬に頼った。

1905年(明治38年)2月11日、大阪の森下博が仁丹を売り出した。赤い大粒の丸薬に付けた惹句は「完全なる懐中薬・最良なる毒消し」。

ここでいう「毒」とは、コレラであり、梅毒だった。恐れられた病の名を、薬の効能書はそのまま売り文句にした。

仁丹だけではない。悪疫除けをうたう宝丹、喉に龍角散、婦人の不調に中将湯。枕元に、行李の底に、子の口元に——薬はあらゆる暮らしの隙間に入り込んでいた。

医者にかかれない国で、「万病に効く」は、希望の別名だった。


薬の外交官

仁丹は、広告でも時代を抜いていた。

新聞の全面広告を連打し、全国の薬店の軒先にホーローの看板を貼り、浅草や大阪には電飾の「仁丹塔」をそびえさせ、ときに飛行機からビラを撒いた。薬を売るというより、街を薬で塗り替えていた。

商標の「大礼服マーク」——髭をたくわえ、勲章を付けた礼装の人物を、人々は軍人だ、ビスマルクだと噂した。だが1900年(明治33年)に登録されたこの顔のモデルは、外交官だった。

森下博の理念は「仁丹は健康を世界に運ぶ薬の外交官だ」。効能書だけでなく、ひとつの図像までが、緻密に設計されていた。

「万病に効く」は、場末のいかがわしい口上ではなかった。当代一流の企業が、新聞も街も使い、莫大な金を注いで広めた言葉だった。

それでいて、効能を裏づける義務はどこにもなく、嘘だと証明する者もいない。咎める者がいなければ、効能書きは競うように大きくなる。


先用後利と、ある腹痛の伝説

薬は、行商人が運んだ。

各家庭にあらかじめ薬箱を預け、半年に一度訪ねて、使った分だけ代金を回収し、減った薬を補う。先用後利——用を先にし、利を後にす。富山の置き薬が磨き上げた、貨幣の乏しい時代の発明だった。

最盛期には全国の約6割の家庭が、この薬箱を持っていた。

その富山売薬には、よく知られた創業譚がある。

元禄3年(1690年)、江戸城内で三春藩主・秋田輝季が激しい腹痛に倒れた。居合わせた富山藩2代藩主・前田正甫が、印籠の反魂丹を飲ませると、痛みはたちまち引いた。

これを見た諸大名が「自国でも売ってほしい」と請い、富山の薬は全国へ広がった——という物語だ。

ただし、この腹痛事件に一次史料の裏付けはない。後世に語られた巷談であり、明治21年(1888年)に旧藩主家公認の由緒書がまとめられて以降、郷土史やパンフレットに「史実」として書き継がれていった。

富山の業界団体は今もこれを創業の事実として掲げ、博物館や百科事典は「裏付けなし」と慎重に距離を置く。

薬は、売られる前から物語をまとっていた。効能書きと同じように、その由来もまた、よくできた売り文句だったのかもしれない。

伝説の真偽はさておき、確かなものもある。制度だ。

前田正甫(1649年–1706年)は反魂丹を発明したわけではない。だが製薬と行商を奨励し、越中売薬の礎を築いた。1765年(明和2年)には藩が反魂丹役所を置いて行商人を管理し、廃藩後の1876年(明治9年)、業者が共同出資して広貫堂を興した。物語は曖昧でも、商いの骨格は太かった。


無効無害主義

ここで、国の本音を見ておきたい。

明治政府は西洋医学を国の標準に選び、薬剤師と薬局を軸に薬事制度を近代化しようとした。1889年(明治22年)の薬律がその柱だ。だが行商で売られる在来の売薬は、この薬律の対象から外され、別系統で扱われた。

外し方に、当時の姿勢がよく出ている。売薬に対する初期の方針は、後に「無効無害主義」と呼ばれた。害さえなければ、効かなくても放っておく——という考え方だ。国は売薬の効能を、はじめから本気で信じていなかった。

代わりに、国は売薬を税源として見ていた。1882年(明治15年)、売薬印紙税が導入される。薬に定価を刷り込ませ、その約1割にあたる印紙を貼らせ、税を取った。

打撃は大きかった。富山売薬の売上高は、1882年の672万円から1884年には65万円へ、およそ10分の1に落ち込み、業者数も890人から224人へと減った。

効能は問わない。だが税は取る。「万病に効く」を野放しにしたまま、国はその上澄みだけをすくっていた。


効くなら、証明せよ

潮目が変わるのは、明治の末だった。

薬学の知識を持つ薬剤師の地位が固まると、「効能には裏付けが要る」という発想が制度に入り込む。1910年(明治43年)前後、内務省の衛生当局は各府県に通告を出した。

売薬は「効能書に記載せる病症に対し相当の効能あるべきもの」であり、ほとんど効くとも認めがたい薬に免許を与えるのは法の精神に背く、と。

無効無害主義は、ここで有効無害主義へ転換した。無害であること。そして、効くこと。その二つを満たさない薬は、すべて規制の対象になる——という線が、初めて引かれた。

効かないのに効くと書く。それを国が問題として名指しした、最初の瞬間だった。


万病に効く、1914年

思想を法律に変えたのが、1914年(大正3年)3月31日に公布された売薬法(法律第14号)だった。

売薬法は、有効無害主義に立って売薬を作り直した。品質を確かめ、所管庁が検査し、そして広告を縛った。「万病に効く○○丹」のような効能の標榜は許されなくなり、売薬には薬効の科学的な裏付けが求められた。

販売の担い手も限られた。営業者の資格は医師・薬剤師、あるいは薬剤師を雇った者に絞られ、行商人は自由な製剤を禁じられて、売ることだけに専念することになった。家業として薬を煉っていた者は、薬剤師を雇うか、会社に組み変わるかを迫られた。

景品表示法が、ラベルの「牛肉」と中身の鯨肉の食い違いから生まれたように。薬の世界の出発点も、ラベルの「万病に効く」と、国が「無効」と見なした中身との食い違いにあった。

日本で初めて、医薬品の誇大な広告に国家が手をかけた法律——それが売薬法だった。

もっとも、この時点の縛りはまだ緩かった。罰則を伴う本格的な誇大広告規制が整うのは、戦後を待つことになる。


それから110年

売薬法が引いた線は、名前を変えながら太くなっていく。

百年を超えて変わらないのは、その芯だ。薬機法第66条は今も「何人も」、医薬品等の効能や性能について虚偽・誇大な広告をしてはならないと定める。「万病に効く」を許さない、という1914年の判断が、条文の形で生き続けている。

そして、この芯は薬の外側にも及ぶ。食品やサプリであっても、「痩せる」「治る」「効く」と効能をうたった瞬間、その商品は薬機法上の医薬品とみなされる。

承認を受けていなければ、未承認医薬品の広告として違反になる。罰は2年以下の懲役、または200万円以下の罰金。

「食品だから自由に書ける」という思い込みは、ここで崩れる。


明治の新聞で「俊効偉大」と叫んだ広告は、もう残っていない。

だが、その文句が向かっていた欲求——たちまち効く何かを求める気持ちと、それに応えて言い切ってしまう売り手の誘惑——は、少しも変わっていない。いまの広告に並ぶ「飲むだけで」「○日で実感」「医師も推奨」は、形を変えた「万病に効く」だ。

何が言えて、何が言えないか。その境界の最初の一本を、1914年の売薬法が引いた。

「効くなら、証明せよ」。百年前の、たった一行の方針転換から、すべては始まっている。


FAQ

薬機法とは何ですか?

正式名称は「医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律」。医薬品・医薬部外品・化粧品・医療機器などの品質と安全、そして広告を規制する法律です。2014年に旧「薬事法」から改称されました。第66条で虚偽・誇大な広告を禁じています。

薬機法の誇大広告規制はいつ始まったのですか?

源流は1914年(大正3年)の売薬法です。「万病に効く○○丹」のような効能の標榜を禁じ、薬効の裏付けを求めました。罰則付きの誇大広告禁止(第66条)は1948年の薬事法改正で整備され、1960年の薬事法でその条番号が確立して現在に引き継がれています。

売薬法とは何ですか?

1914年に公布された、行商で売られる民間薬(売薬)を規制する法律です。それまでの「効かなくても無害ならよい」という無効無害主義から、「無害かつ有効でなければならない」という有効無害主義へ転換し、品質検査と広告規制を導入しました。日本で初めて医薬品の誇大広告に国家が踏み込んだ法律とされます。

健康食品に「痩せる」「治る」と書くとなぜ薬機法違反になるのですか?

食品やサプリでも、医薬品のような効能効果をうたうと、薬機法上は「医薬品」とみなされるためです。承認を受けていない商品が効能を広告すると、未承認医薬品の広告(第68条)に該当し、違反となります。「脂肪を分解して排出」「便秘が治る」などが典型的なNG表現です。

薬機法に違反するとどうなりますか?

虚偽・誇大広告(第66条)や未承認医薬品の広告(第68条)に違反すると、2年以下の懲役または200万円以下の罰金が科されます。加えて2021年8月からは、誇大広告に対し対象商品の売上の4.5%を徴収する課徴金制度が始まりました。