公的制度
1922年の健康保険法から始まる、日本の医療を支える公的制度の歴史。
国民皆保険、武見太郎の闘い、5つに分かれた保険、診療報酬と中医協 ──
誰が払い、何にいくら払うのかの100年を辿ります。
並び替え
1922年健康保険法 ── ビスマルクのアメとムチ、日本版
1918年米騒動、1917年ロシア革命、1919年ILO設立 ── 世界が社会主義革命の足音に揺れた時代。 1922年3月25日、日本の社会保険は ビスマルクから39年遅れで動き出す。ブルーカラー労働者を対象にした健康保険法、起草したのは社会政策学会の桑田熊蔵らだった。
1961年4月1日、皆保険の朝 ── 武見太郎と戦後医療の闘い
1961年4月1日、約3,000万人(人口の1/3)が初めて医療を受けられるようになった。前回1922年健康保険法の戦前社会保険から、戦後改革を経た到達点。 中心人物は「ケンカ太郎」と呼ばれた医師会会長・武見太郎。1.67億円の薬を年収400万の患者が打てる土台は、この日に始まった。
5つに分かれた皆保険 ── 日本の医療保険、分立の矛盾と限界
VCスタートアップ健保8.98% vs 協会けんぽ佐賀10.78% vs 国保 ── 同じ現役でも所属で月額の負担が1万円以上違う。 健保組合の47.9%が赤字、解散すると国庫負担が逆に増える逆説、国保の平均年齢53歳。1961年皆保険から65年、分立のままの皆保険はどこへ向かうか。
医療の値段は誰が決めるか ── 診療報酬と中医協 70年
米国600万円の盲腸手術が、日本では67,400円。医療の値段は市場ではなく「中央社会保険医療協議会(中医協)」の20人が2年に1度決める。 点数は動くが物価追従できているか ── 22年で本体累積+約6%、CPI +約8-10%、賃金+約15%。武見太郎の13.7%、小泉のマイナス改定、2024年6月延期、2026年32年ぶりの2%超まで、診療報酬70年を辿る。