1961年 4月、東京。一枚のガムの包装紙が、当時の宝くじを 10倍ぶち抜く価値を持った。
ロッテが「天然チクルセール」と銘打って始めた懸賞は、こうだった。ロッテガム 50円分の包装紙を集めて送れば、特賞 1000万円が当たる。
1961年の宝くじ最高当選額は 100万円。ガムの懸賞はその 10倍だった。50円の駄菓子と 1000万円という賞金額の落差を、当時の主婦も、子どもも、企業の競合も、誰もうまく説明できなかった。
応募は最終的に 760万通 に達した。当時の日本の世帯数は約 2200万。3世帯に 1世帯が、ガムの包装紙を封筒に入れて投函した計算になる。
これは GuidelineChecker の編集部が書く、コラムの 2本目である。前回は「ニセ牛缶、1962年」で、表示 の側からみた景品表示法を書いた。今回は 景品 の側、つまり同じ法律のもう一つの柱である。
50円のガム、760万通
ロッテはこの懸賞で何を狙ったか。賞金 1000万円のためのコストはむしろ安かった、というのが結論である。
応募 760万通 × ガム 50円分 = 約 3億 8000万円の売上が、この懸賞 1回で確定した。賞金 1000万円は、その 3%弱 に過ぎない。残りはすべて販促効果として企業に残る。
そして、それ以上に重要だったのは「業界順位」だった。当時の日本のガム業界は ハリスガム (現 カネボウフーズの前身の一部) が長年トップを走っていた。ロッテはずっと 2位以下に甘んじていた。「打倒ハリス」は社内のスローガンだった。
懸賞の話題性はメディアに広がり、店頭でガムを買う行為が 宝くじを買う感覚 に変わった。1961年中にロッテはハリスを抜き、ガム業界 1位に躍り出る。
ロッテにとって、この 1000万円は 業界順位をひっくり返した投資 だった。
制限の隙間
ここで時計を 10年戻す。
1952年、公正取引委員会は、独占禁止法の「不公正な取引方法」の一類型として、過大景品の制限を始めた。最初に対象になったのは みそ、しょうゆ、百貨店 だった。当時、味噌や醤油の売場では「景品付き販売」が当たり前で、本来の商品競争 (味と価格) より景品の豪華さで売る慣行ができていた。
公取委はこれを止めた。ただし、業種別の告示 で止めたのである。みそ・しょうゆ・百貨店は規制されたが、それ以外は規制対象外 だった。
製菓は規制対象外だった。ウイスキーも、洗剤も、化粧品も、対象外。1950年代後半から 60年代にかけて、これらの業種が「規制の隙間」になだれ込んだ。
ロッテのガム懸賞は、この隙間の中で起きた。違法ではなかった。法律が追いついていなかった だけである。
ハワイ旅行のウイスキー
公正取引委員会の公式記述には、当時の状況がこう書かれている。
制限外の業種で懸賞販売が盛んとなり、例えばウイスキーにハワイ旅行、10円のガムに 1000万円が当たるというように、景品の最高額が高騰し、社会的批判が高まった。
ハワイ旅行は当時、庶民にとって非現実的な憧れの象徴だった。1964年に日本人の海外旅行自由化 がやっと実現する、その数年前である。ウイスキー 1本を買って当たるなら、それは商品の中身を選ぶ消費というより、宝くじを買う行為に近かった。
化粧品売場でも同じことが起きた。「肩までの高さに積み上げた千円札の山」 が懸賞景品として写真付きで広告された、という記録がある。1万円の化粧品セットを買って、応募者にチャンスを与える。賞品の絶対値が、商品本体の価値を凌駕した。
公取委が問題視したのは、賞金の大きさそのものではない。「商品ではなく、賞金で選ばれる」状態が、市場の機能を歪める ことだった。
国会が動く
1961年から 1962年にかけて、政府内で議論が加速した。
直接の引き金は二つあった。一つは前回書いた ニセ牛缶事件 (1960年 8月、主婦連合会の試買調査)。これは 表示 側の問題だった。もう一つは、本稿で書いてきた 過大景品の高騰。
両者を一つの法律でカバーする ── これが立法の設計思想だった。「景品」と「表示」、二つの不公正競争を、独占禁止法の特例として簡易迅速に規制する。
1962年 5月 4日、第 40回国会で 不当景品類及び不当表示防止法 が成立した。同年 5月 15日公布、8月 15日施行。景品表示法 と呼ばれることになる法律である。
ロッテが「ガム 50円で 1000万円」を仕掛けて、その応募 760万通が話題になった日から、法律ができるまで約 1年余り。日本の立法スピードとしては早い。それだけ社会の批判が強かった。
表示と景品
景品表示法の正式名称は 不当景品類及び不当表示防止法。「景品」と「表示」を並べることで、立法者は 二つの問題は本質的に同じ だと宣言した。
- ニセ牛缶 (表示): 中身が違うものを違うと言わない。
- 特賞 1000万円 (景品): 中身では選ばれない仕組みを作る。
どちらも、消費者が 商品の本質に基づいて選ぶ自由 を奪う。表示の嘘でも、景品の派手さでも、結果は同じだ。市場が壊れる。
法律は、この二つを 1本の法律で扱った。景品の最高額、景品の総額、表示の真実性、業界の自主規制。この四本柱は、現在まで景品表示法の構造として残っている。
規制の現在
ロッテが 1961年に仕掛けた「50円で 1000万円」は、現在の景品表示法ではどう扱われるか。具体的に計算してみる。
現行規制では、一般懸賞 (商品購入者の中からくじ等で抽選する懸賞) には次の上限がある:
- 取引価額が 5,000円未満 の場合: 最高額は 取引価額の 20倍、総額は 売上予定総額の 2% まで
- 取引価額が 5,000円以上 の場合: 最高額は 10万円、総額は 売上予定総額の 2% まで
ガム 1個 50円の場合、最高額の上限は 50円 × 20倍 = 1,000円。
ロッテが当時掲げた 1000万円は、現行規制の 1万倍 にあたる。仮に今同じ懸賞を行えば、消費者庁から措置命令が下る案件である。
景品の世界は、こうして抑制された。1000万円の懸賞が消えた代わりに、消費者は商品の中身で勝負する市場を手に入れた。
終わりに
ロッテにとって、1961年のキャンペーンは成功だった。760万通の応募、ガム業界 1位、社名認知。投資としては大成功だった。
その翌年、同じ手法を使えない法律ができた。ロッテが景品で勝った瞬間に、景品の時代は終わった。
これは皮肉ではなく、構造である。法律は、いつも勝者が出た翌朝に作られる。誰かが規制の隙間で勝つから、規制が追いついてくる。ニセ牛缶を堂々と売れた缶詰会社も、1000万円懸賞で業界 1位を取ったロッテも、それぞれの時代の「最後の勝者」だった。
景品表示法は 1962年に生まれた。その瞬間に、表示の嘘と景品の暴走は、過去のものとして法律に書き込まれた。書き込まれた後、起きた違反は、すべて「事件」と呼ばれるようになる。
それが法律が生まれるということだ。
FAQ
景品規制とは何ですか?
景品表示法における景品規制は、商品やサービスを購入することを条件に提供される景品 (おまけ、賞品、サンプル等) の最高額と総額を制限する仕組みです。1962年制定。射倖心 (賭けたい気持ち) を過剰に煽る販促を抑え、商品本来の品質と価格で競争される市場を守る目的があります。
なぜ「ガムで 1000万円」が問題視されたのですか?
商品の中身ではなく、付帯する賞金で消費者が誘引される状態が市場を歪めるためです。1961年のロッテのキャンペーンでは 760万通の応募が集まり、当時の宝くじ最高額 100万円の 10倍にあたる賞金が話題化しました。本来の競争軸 (味、価格、品質) が二の次になり、過熱は他業種にも飛び火しました。
現在の景品の最高額はいくらですか?
一般懸賞 (商品購入者の抽選) では、取引価額 5,000円未満なら 取引価額の 20倍、5,000円以上なら 最高 10万円、いずれも総額は売上予定総額の 2%まで。共同懸賞 (商店街等の複数事業者で実施) では最高 30万円・売上総額の 3%まで。総付景品 (もれなく全員に渡す) では 1,000円未満なら最高 200円、それ以上なら取引価額の 10分の 2まで。
1961年の 1000万円は今の感覚でいくらですか?
当時の物価水準から推計すると、現在の 約 1億円 相当とされます。当時のガム 1個が 50円であったことを基準にすると、現在のガム約 100円との比から逆算しても、賞金の体感価値は数千万〜億単位の規模になります。
景表法と独占禁止法はどう違いますか?
景表法は独占禁止法の特例法です。独占禁止法は不公正な取引方法を広く禁じる包括的な法律ですが、対応に時間がかかります。景表法は 景品の最高額 と 表示の真実性 という具体的な範囲に絞り、簡易迅速 に規制できる仕組みとして 1962年に作られました。違反時の措置命令や課徴金は消費者庁が運用しています。