景表法 読了 8 分

特賞 1000万円、1961年 — 景表法「景品」が生まれた春

1961年 4月、ロッテはガム 50円分の包装紙を送ると 1000万円が当たる懸賞を始めた。応募は 760万通。当時の宝くじ最高額は 100万円、その 10倍だった。同じ頃ウイスキーには「ハワイ旅行」が付き、化粧品売場は懸賞会場と化した。ロッテは「打倒ハリス」を達成しガム業界 1位になった。その翌年、過大景品を禁じる法律が生まれた。

目次 (9 章)
  1. 50円のガム、760万通
  2. 制限の隙間
  3. ハワイ旅行のウイスキー
  4. 国会が動く
  5. 表示と景品
  6. 規制の現在
  7. 終わりに
  8. FAQ
  9. 参考文献

1961年 4月、東京。一枚のガムの包装紙が、当時の宝くじを 10倍ぶち抜く価値を持った。

ロッテが「天然チクルセール」と銘打って始めた懸賞は、こうだった。ロッテガム 50円分の包装紙を集めて送れば、特賞 1000万円が当たる

1961年の宝くじ最高当選額は 100万円。ガムの懸賞はその 10倍だった。50円の駄菓子と 1000万円という賞金額の落差を、当時の主婦も、子どもも、企業の競合も、誰もうまく説明できなかった。

応募は最終的に 760万通 に達した。当時の日本の世帯数は約 2200万。3世帯に 1世帯が、ガムの包装紙を封筒に入れて投函した計算になる。

これは GuidelineChecker の編集部が書く、コラムの 2本目である。前回は「ニセ牛缶、1962年」で、表示 の側からみた景品表示法を書いた。今回は 景品 の側、つまり同じ法律のもう一つの柱である。


50円のガム、760万通

ロッテはこの懸賞で何を狙ったか。賞金 1000万円のためのコストはむしろ安かった、というのが結論である。

応募 760万通 × ガム 50円分 = 約 3億 8000万円の売上が、この懸賞 1回で確定した。賞金 1000万円は、その 3%弱 に過ぎない。残りはすべて販促効果として企業に残る。

そして、それ以上に重要だったのは「業界順位」だった。当時の日本のガム業界は ハリスガム (現 カネボウフーズの前身の一部) が長年トップを走っていた。ロッテはずっと 2位以下に甘んじていた。「打倒ハリス」は社内のスローガンだった。

懸賞の話題性はメディアに広がり、店頭でガムを買う行為が 宝くじを買う感覚 に変わった。1961年中にロッテはハリスを抜き、ガム業界 1位に躍り出る。

ロッテにとって、この 1000万円は 業界順位をひっくり返した投資 だった。


制限の隙間

ここで時計を 10年戻す。

1952年、公正取引委員会は、独占禁止法の「不公正な取引方法」の一類型として、過大景品の制限を始めた。最初に対象になったのは みそ、しょうゆ、百貨店 だった。当時、味噌や醤油の売場では「景品付き販売」が当たり前で、本来の商品競争 (味と価格) より景品の豪華さで売る慣行ができていた。

公取委はこれを止めた。ただし、業種別の告示 で止めたのである。みそ・しょうゆ・百貨店は規制されたが、それ以外は規制対象外 だった。

製菓は規制対象外だった。ウイスキーも、洗剤も、化粧品も、対象外。1950年代後半から 60年代にかけて、これらの業種が「規制の隙間」になだれ込んだ。

ロッテのガム懸賞は、この隙間の中で起きた。違法ではなかった。法律が追いついていなかった だけである。


ハワイ旅行のウイスキー

公正取引委員会の公式記述には、当時の状況がこう書かれている。

制限外の業種で懸賞販売が盛んとなり、例えばウイスキーにハワイ旅行、10円のガムに 1000万円が当たるというように、景品の最高額が高騰し、社会的批判が高まった。

ハワイ旅行は当時、庶民にとって非現実的な憧れの象徴だった。1964年に日本人の海外旅行自由化 がやっと実現する、その数年前である。ウイスキー 1本を買って当たるなら、それは商品の中身を選ぶ消費というより、宝くじを買う行為に近かった。

化粧品売場でも同じことが起きた。「肩までの高さに積み上げた千円札の山」 が懸賞景品として写真付きで広告された、という記録がある。1万円の化粧品セットを買って、応募者にチャンスを与える。賞品の絶対値が、商品本体の価値を凌駕した。

公取委が問題視したのは、賞金の大きさそのものではない。「商品ではなく、賞金で選ばれる」状態が、市場の機能を歪める ことだった。


国会が動く

1961年から 1962年にかけて、政府内で議論が加速した。

直接の引き金は二つあった。一つは前回書いた ニセ牛缶事件 (1960年 8月、主婦連合会の試買調査)。これは 表示 側の問題だった。もう一つは、本稿で書いてきた 過大景品の高騰

両者を一つの法律でカバーする ── これが立法の設計思想だった。「景品」と「表示」、二つの不公正競争を、独占禁止法の特例として簡易迅速に規制する

1962年 5月 4日、第 40回国会で 不当景品類及び不当表示防止法 が成立した。同年 5月 15日公布、8月 15日施行。景品表示法 と呼ばれることになる法律である。

ロッテが「ガム 50円で 1000万円」を仕掛けて、その応募 760万通が話題になった日から、法律ができるまで約 1年余り。日本の立法スピードとしては早い。それだけ社会の批判が強かった。


表示と景品

景品表示法の正式名称は 不当景品類及び不当表示防止法。「景品」と「表示」を並べることで、立法者は 二つの問題は本質的に同じ だと宣言した。

どちらも、消費者が 商品の本質に基づいて選ぶ自由 を奪う。表示の嘘でも、景品の派手さでも、結果は同じだ。市場が壊れる。

法律は、この二つを 1本の法律で扱った。景品の最高額景品の総額表示の真実性業界の自主規制。この四本柱は、現在まで景品表示法の構造として残っている。


規制の現在

ロッテが 1961年に仕掛けた「50円で 1000万円」は、現在の景品表示法ではどう扱われるか。具体的に計算してみる。

現行規制では、一般懸賞 (商品購入者の中からくじ等で抽選する懸賞) には次の上限がある:

ガム 1個 50円の場合、最高額の上限は 50円 × 20倍 = 1,000円

ロッテが当時掲げた 1000万円は、現行規制の 1万倍 にあたる。仮に今同じ懸賞を行えば、消費者庁から措置命令が下る案件である。

景品の世界は、こうして抑制された。1000万円の懸賞が消えた代わりに、消費者は商品の中身で勝負する市場を手に入れた


終わりに

ロッテにとって、1961年のキャンペーンは成功だった。760万通の応募、ガム業界 1位、社名認知。投資としては大成功だった。

その翌年、同じ手法を使えない法律ができた。ロッテが景品で勝った瞬間に、景品の時代は終わった

これは皮肉ではなく、構造である。法律は、いつも勝者が出た翌朝に作られる。誰かが規制の隙間で勝つから、規制が追いついてくる。ニセ牛缶を堂々と売れた缶詰会社も、1000万円懸賞で業界 1位を取ったロッテも、それぞれの時代の「最後の勝者」だった。

景品表示法は 1962年に生まれた。その瞬間に、表示の嘘と景品の暴走は、過去のものとして法律に書き込まれた。書き込まれた後、起きた違反は、すべて「事件」と呼ばれるようになる。

それが法律が生まれるということだ。


FAQ

景品規制とは何ですか?

景品表示法における景品規制は、商品やサービスを購入することを条件に提供される景品 (おまけ、賞品、サンプル等) の最高額と総額を制限する仕組みです。1962年制定。射倖心 (賭けたい気持ち) を過剰に煽る販促を抑え、商品本来の品質と価格で競争される市場を守る目的があります。

なぜ「ガムで 1000万円」が問題視されたのですか?

商品の中身ではなく、付帯する賞金で消費者が誘引される状態が市場を歪めるためです。1961年のロッテのキャンペーンでは 760万通の応募が集まり、当時の宝くじ最高額 100万円の 10倍にあたる賞金が話題化しました。本来の競争軸 (味、価格、品質) が二の次になり、過熱は他業種にも飛び火しました。

現在の景品の最高額はいくらですか?

一般懸賞 (商品購入者の抽選) では、取引価額 5,000円未満なら 取引価額の 20倍、5,000円以上なら 最高 10万円、いずれも総額は売上予定総額の 2%まで。

共同懸賞 (商店街等の複数事業者で実施) では最高 30万円・売上総額の 3%まで。

総付景品 (もれなく全員に渡す) では 1,000円未満なら最高 200円、それ以上なら取引価額の 10分の 2まで。

1961年の 1000万円は今の感覚でいくらですか?

当時の物価水準から推計すると、現在の 約 1億円 相当とされます。当時のガム 1個が 50円であったことを基準にすると、現在のガム約 100円との比から逆算しても、賞金の体感価値は数千万〜億単位の規模になります。

景表法と独占禁止法はどう違いますか?

景表法は独占禁止法の特例法です。独占禁止法は不公正な取引方法を広く禁じる包括的な法律ですが、対応に時間がかかります。景表法は 景品の最高額表示の真実性 という具体的な範囲に絞り、簡易迅速 に規制できる仕組みとして 1962年に作られました。違反時の措置命令や課徴金は消費者庁が運用しています。