景表法 読了 14 分

消費者庁、2009年 — 福田康夫の宿願と食品偽装ラッシュ

2008年 1月 18日、福田康夫は施政方針演説で「強い権限を持つ新組織」を発足させると宣言した。1年前から続いていた食品偽装の連鎖、不二家・ミートホープ・赤福・船場吉兆・比内地鶏 ── そして翌週には中国産毒餃子事件が起きる。

福田は退陣を挟みながらも、4ヶ月で骨格を作り、麻生内閣と民主党の超党派立法を経て 2009年 5月 29日に 3法が全会一致で成立。同年 9月 1日、消費者庁発足。1962年制定の景表法は、47年ぶりに公正取引委員会から手を離れた。

目次 (10 章)
  1. 2007年、老舗の春
  2. 縦割りの限界
  3. 消費者行政推進会議、4ヶ月
  4. 福田退陣
  5. 超党派の 90時間
  6. 2009年 9月 1日
  7. 縦割りを超えて
  8. 福田の言葉
  9. FAQ
  10. 参考文献

2008年 1月 18日、午後 2時。衆議院本会議場。福田康夫首相が施政方針演説の演壇に立った。第169回国会の開会日である。

演説のなかほどで、彼は新組織の設立を予告した。

食品表示の偽装問題への対応など、各省庁縦割りになっている消費者行政を統一的、一元的に推進するための、強い権限を持つ新組織を発足させます。

新組織は、国民の意見や苦情の窓口となり、政策に直結させ、消費者を主役とする政府のかじ取り役になるものです。

具体的な名称や開庁日は語られなかった。だが、この日の演説が、1年半後に発足する 消費者庁 の起点になった。

これは GuidelineChecker の編集部が書く、コラムの 7本目である。前回まで景表法の成立と運用構造を辿った。今回は、その景表法が公正取引委員会の手を離れる日 ── 1962年制定の法律が 47年ぶりに管轄を変える瞬間 の物語である。


2007年、老舗の春

福田が演説した時、議場にいた誰もが直前の 1年を覚えていた。2007年は、戦後日本の食品業界が連鎖崩壊した年だった。

「老舗」が次々に倒れた。不二家は 1910年創業、赤福は 1707年創業 (300年企業)、船場吉兆は 1991年創業だが懐石料理の名門。消費者は、信頼してきたブランドが連鎖して嘘をついていた事実に晒された

景表法の措置命令は量産された。だが「事件は止まらない」── これが当時の世論の感触だった。措置命令が出ても次の偽装が始まる。

罰則の弱さ (当時、景表法に課徴金制度はまだ存在しなかった) と、所管の縦割り (食品=農水省/厚労省、表示=公取委、契約=経産省) が露呈していた。


縦割りの限界

食品偽装だけではなかった。福田が演説した時、すでに別系統の事故も並行していた。

パロマ湯沸器。屋内設置型のガス瞬間湯沸器が一酸化炭素中毒で 21人 を死亡させていた。最初の死亡事故は 1985年。だがメーカーと監督官庁の連携が機能せず、事故情報は集約されないまま 20年以上事故が続いた。

2006年 7月、警視庁の捜査結果を受けて経済産業省が問題を公表。2006年 8月 28日、経産省が回収命令を出した。同年、消費生活用製品安全法が改正され製品事故の情報収集が義務化される。所管は経産省だった。

こんにゃくゼリー。1999年から 2008年までに、ミニカップ型こんにゃくゼリーによる窒息死亡事故は 22件 (死亡に至らなかった事故は 32件)。被害者のほとんどは小児と高齢者。

業界 3団体は 2007年 10月に統一の警告マークを商品に表示したが、事故は止まらなかった。2008年 7月、祖母が与えた「蒟蒻畑マンゴー味」を半解凍状態で食べた男児が窒息、9月に死亡した。

このとき、行政の対応を遅らせた最大の問題は所管が存在しなかったことだった。食品ではあるが、食品衛生法の規制対象 (健康への害) ではない製品事故ではあるが、消費生活用製品安全法の対象 (機械的危険) でもない

どの省庁も自分の管轄ではないと言える状態 ── これを当時の議論は 「すきま事案」 と呼んだ。

そして演説の 12日後、決定的な事件が起きる。

2008年 1月 30日、中国天洋食品が製造しジェイティフーズが輸入、日本生活協同組合連合会が販売した冷凍餃子を食べた、千葉県千葉市・市川市、兵庫県高砂市の 3家族 10人 が中毒症状を訴えた。市川市の 女児が一時意識不明の重体 となる。

鑑定で 有機リン系殺虫剤メタミドホス が検出された。ジェイティフーズは 23品目・約 58万点の自主回収を発表。日本と中国の外交問題に発展する。

毒餃子事件は、福田演説の翌週から国民の食卓を凍らせた。食品衛生法 (厚労省)、輸入食品 (財務省・厚労省)、食品表示 (農水省)、消費者対策 (内閣府)。所管が分散したまま、対応は後手に回った。

「すきま事案」と「縦割り」 ── 2008年初頭の日本は、この 2つの言葉に塗りつぶされていた。


消費者行政推進会議、4ヶ月

福田は施政方針演説からわずか 3週間 で動いた。

2月 6日、消費者行政推進担当大臣を発令し、官邸に 消費者行政一元化準備室 を設置。2月 8日、閣議決定で 消費者行政推進会議 を設置。

座長は 佐々木毅 (元東京大学総長、当時 学習院大学法学部教授・国民生活審議会会長)。委員は 11名。

会議は月 2回のペースで開催され、福田は 毎回出席 した。これは異例である。首相がこの種の有識者会議に毎回出席することは通常はない。福田個人の宿願であることが、出席率に表れていた。

4月 23日、会議で福田は決定的な方針を表明する。新組織は 「表示、取引、安全の全てを所管する」。つまり省庁横断で 30本近い消費者関連法を集約する、と宣言した。

これは霞ヶ関の各省庁にとって既得権益の大幅な譲渡を意味する。各省の局長級は強く抵抗したが、福田は引かなかった。

4月 27日、「消費者行政推進基本計画」を閣議決定。6月 13日、第 6回会議で最終取りまとめ。施政方針から 4ヶ月の高速設計だった。

この時点で、新組織の骨格はほぼ固まった。

両輪設計が重要だった。消費者庁は行政、消費者委員会は監視 ── 行政と監視を組織として分離することで、消費者庁自身も縦割りに陥らないよう牽制をかける構造である。


福田退陣

2008年 9月 1日、福田康夫は突然辞意を表明する。施政方針演説からちょうど 7ヶ月半。理由は政治情勢の膠着 ── ねじれ国会で政策が通らない、内閣支持率の低下、自民党内の調整困難。

9月 24日、麻生太郎が後を継いで第 92代内閣総理大臣に就任した。

福田が抜けたあと、消費者庁構想は宙に浮く可能性があった。麻生は前内閣の遺産をすべて引き継ぐとは限らない。だが、骨格はすでに固まっており、世論の後押しも続いていた。

麻生内閣は構想を継承し、9月 29日、第 170回国会 (臨時会) に 「消費者庁設置法案」 を含む 3法案を提出する。


超党派の 90時間

ここで物語が興味深くなる。2009年は 政権交代の年である。8月の総選挙で民主党が圧勝し自民党は下野する。だが、消費者庁設置法案の審議は、その直前に行われた。

第 170回国会では成立せず、年明けの 第 171回国会 (常会、2009年 1月開会) で衆参両院に「消費者問題に関する特別委員会」が設置され、本格審議に入る。

ここで起きたのが 超党派立法 である。

衆議院では民主党側から修正提案が出された。その柱は「消費者委員会の独立性強化」「消費者庁長官の人事の透明化」「移管法律の具体的リスト明示」 ── つまり第三者監視の強化である。自民党 (麻生政権) は受け入れた。

審議時間は 衆議院で約 60時間、参議院で約 30時間 ── 合計約 90時間。新組織設立にしては異例の長さである。各党は条文の一語一句を詰めた。

成立した 3法は次のとおりである。

3法ともすべて 全会一致。1962年の景表法成立時も超党派的支持があったが、この 2009年の全会一致は政権交代直前の対立期にあって実現したものである。福田の宿願が、政党の利害を超えた共通課題として認知されていた証左である。


2009年 9月 1日

法案成立から約 3ヶ月後、2009年 9月 1日、消費者庁が発足した。

この時、政権はすでに民主党に交代している (鳩山由紀夫内閣、9月 16日発足の直前)。福田康夫はもちろん総理でもなく、衆議院議員として庁の開庁式典に出席することもなかった。

初代長官は内田俊一 (建設省出身、内閣府事務次官から横滑り)。発足時の正規職員は 約 200名。立ち入り調査などを担当する消費者安全課はわずか 20〜30名しかなく、警察と公正取引委員会の OB ら 約 100名を非常勤 として雇用して陣容を埋めた。

組織は部局制を採らず、審議官の下に直接課を配置するフラットな構造だった。新組織として急ぎ立ち上げるための、暫定の形である。

同日、移管された主な法律のなかに 不当景品類及び不当表示防止法 があった。1962年 8月 15日に公正取引委員会の所管で施行されてから、47年と 17日。景表法は、生まれて初めて管轄を変えた。

公正取引委員会は景表法の運用を 47年間続けてきた。措置命令、業界調査、公正競争規約の認定 (1963年の不動産が第一号、現在 103本)、ヤミカルテルの摘発との連動 ── ノウハウは膨大だった。

それを消費者庁に「譲り渡す」のは、組織としては痛みを伴う決定だった。

ただし完全な譲渡ではなかった。公正競争規約の認定権者は、移管後も 「公正取引委員会 + 消費者庁長官」の 2者連名 になる。独占禁止法の適用除外という法的保護は公取委の管轄から動かせないため、両者の承認が要る (詳細は 不動産、1963年 — 公正競争規約という発明 を参照)。

1962年に作られた法律の構造そのものは維持されたまま、運用主体だけが変わった。


縦割りを超えて

消費者庁発足の意義は、組織を 1つ作ったことではない。「すきま事案」に名前を与え、それを引き受ける機関を法律上に位置づけたことである。

消費者安全法 (3法のひとつ) はこれを制度化した。事故情報を都道府県や関係省庁から 消費者庁に集約し、消費者庁長官が必要に応じて関係省庁に措置要求できる ── 縦割りで止まっていた情報の流れを、横断的に動かす仕組みである。

パロマ湯沸器のように 20年放置される事故は、構造的に起きにくくなった。

景表法に課徴金制度が導入されるのは、消費者庁発足から 5年後の 2014年改正 (2016年 4月施行) である。措置命令だけだった景表法に対象売上の 3%を国庫納付させる罰金が加わり、規制が初めて牙を持った。

2023年 5月の改正では確約手続・直罰規定・課徴金 1.5倍加算が追加される (詳細は ニセ牛缶、1962年 — 景品表示法が生まれた朝 を参照)。消費者庁になってからの 15年間で、景表法は生まれてから 47年間より深く変わった


福田の言葉

福田康夫は退陣後も、消費者庁の体制充実を訴え続けた。2021年、自民党の調査会で 85歳になった福田はこう発言している。「消費者庁の体制の充実をぜひ」。彼の宿願は、組織が発足した時点では完成していなかった。

施政方針演説の冒頭、福田はこう述べていた。「生活者や消費者が主役となる社会へ向けたスタートの年と位置づけ」。スタートとして位置づけたから、仕上げは別の手に委ねられた ── 福田自身が首相として消費者庁を見届けることはなかった。

法律は、いつも勝者が出た翌朝に作られる。本シリーズで繰り返してきたこの命題は、組織にも当てはまる。組織は、それを止める主体が不在だった翌朝に作られる。「すきま事案」という言葉が消費者庁を呼んだ。


FAQ

消費者庁はいつ設立されましたか?

2009年 9月 1日に発足しました。設置の根拠法 (消費者庁及び消費者委員会設置法、消費者安全法、関係法律整備法の 3法) は 2009年 5月 29日に参議院本会議で全会一致可決され、9月 1日に施行されました。初代長官は内田俊一、発足時の正規職員は約 200名でした。

なぜ消費者庁が作られたのですか?

2007年の食品偽装ラッシュ (不二家・ミートホープ・赤福・船場吉兆・比内地鶏)、パロマ湯沸器の 21人死亡事故、こんにゃくゼリー窒息事故 (1999-2008で 22件死亡)、2008年 1月の中国産毒餃子事件など、消費者問題が頻発しました。

それぞれの事案で省庁の縦割りや「すきま事案」(所管官庁が存在しない事案) が露呈し、消費者行政を横断的に担う組織が必要だと判断されました。2008年 1月 18日の福田康夫首相の施政方針演説で新組織構想が表明されました。

福田康夫の宿願とは具体的に何ですか?

「各省庁縦割りになっている消費者行政を統一的・一元的に推進する強い権限を持つ新組織」を作ることです。福田は施政方針演説の 3週間後に消費者行政推進会議を発足させ、自ら毎回出席して 4ヶ月で骨格をまとめました。

ただし福田は 2008年 9月に退陣し、後継の麻生内閣が法案を国会に提出、2009年 5月に成立する経緯を経ました。福田自身は組織発足を首相としては見届けませんでした。

景表法はなぜ公正取引委員会から消費者庁に移管されたのですか?

1962年制定以来の景表法は公正取引委員会が所管していましたが、消費者行政の一元化方針に基づき、2009年 9月 1日に消費者庁へ移管されました。

ただし完全な譲渡ではなく、公正競争規約の認定権者は「公正取引委員会 + 消費者庁長官」の 2者連名になっています。独占禁止法の適用除外という法的保護は公取委の管轄から動かせないためです。

消費者庁が所管する法律は何本ありますか?

発足時に約 30本の消費者関連法が移管されました。主なものは景品表示法、特定商取引法、消費者契約法、製造物責任法、消費者基本法、消費者安全法 (新設) など。現在は法改正や新法制定でさらに増えています。「表示、取引、安全」の 3領域を横断的に所管する設計です。