薬機法 読了 17 分

緊急承認、2022年 ── アビガンが届かなかった先にできた制度

2020年5月4日、緊急事態宣言延長会見で安倍首相は「アビガン、今月中の承認を目指したい」と述べた。

5月承認は実現しなかった。10月の申請、12月の継続審議、2022年3月の開発中止。届かなかった薬の軌跡が、2022年5月、緊急承認制度を作った。届いた第1号は、塩野義ゾコーバだった。

目次 (9 章)
  1. アビガンの前史 ── 富山化学から JIKI試験まで
  2. 「5月承認」── 2020年の熱狂
  3. 単盲検試験が壊した夢
  4. 海外承認なき国産薬 ── 特例承認の網からこぼれて
  5. 2022年5月、緊急承認
  6. 第1号は塩野義ゾコーバ
  7. 届かなかった薬、届いた制度
  8. FAQ
  9. 参考文献

2020年5月4日。

緊急事態宣言延長を会見で発表する安倍晋三首相は、新型コロナウイルス治療薬についてこう述べた。

有効性が確認されれば、医師の処方の下、使えるように薬事承認をしていきたい。今月中の承認を目指したい。一般の企業治験とは違う形での承認の道もある。

薬の名前は ── アビガン (一般名 ファビピラビル)。富士フイルム富山化学が開発した、抗インフルエンザ薬。

しかし、5月承認は実現しなかった。10月の承認申請、12月の継続審議、そして 2022年3月の開発中止 ── 政治の言葉と科学の言葉のあいだに、2年の空白が生まれた。

その隙間を埋めるように、2022年5月20日、薬機法に 緊急承認制度 が新設された。「有効性は推定でよい」── 国内開発品にも適用される、新しい承認の枠。

届かなかった薬」が、その軌跡で「届く制度」をつくった。

これは GuidelineChecker のコラム 38本目、薬機法シリーズの 15本目である。2014年薬機法 で iPS細胞が法律名を動かし、2019年改正 で課徴金という牙が立った。次は 2022年5月 ── COVID-19 の只中、薬機法は 3度目の大改正を迎える。今回はその物語を辿る。


アビガンの前史 ── 富山化学から JIKI試験まで

1990年。富山化学工業 (現 富士フイルム富山化学) が、富山医科薬科大学 (現 富山大学) 医学部ウイルス学教室の 白木公康 教授に共同研究を持ちかけた。

約3万化合物のスクリーニング。江川裕之が合成、古田要介が抗インフルエンザ活性を発見、白木が感染マウスで タミフルより強い治療効果と耐性が出ないことを実証。1998年、物質特許「T-705」取得

機序は独特だった。プロドラッグとして細胞内で代謝され、ウイルスの RNA依存性RNAポリメラーゼに ATP/GTP と競合して取り込まれ、ウイルス RNA合成を止める ── chain terminator として作用する。

この機序は、インフルエンザだけでなく 広範な RNA ウイルスに作用する可能性を意味した。エボラ、SARS、MERS ── 後年の COVID-19 への期待も、ここに根がある。

2014年3月、日本承認。ただし条件は厳しかった。

承認条件内容
適応新型または再興型インフルエンザウイルス感染症で、他の抗ウイルス薬が無効/効果不十分なもの
使用厚生労働大臣の要請を受けて製造・使用
禁忌妊婦・妊娠している可能性のある女性
市場流通なし (政府備蓄のみ)

催奇形性が動物実験で確認されたため、通常の臨床流通は許可されなかった。「国家備蓄薬」という極めて限定的な性格の承認だった。

2014年12月、エボラ流行下の西アフリカ・ギニア。MSF (国境なき医師団) のエボラ治療センターで、INSERM (フランス国立保健医学研究所) 主導の JIKI 試験 が開始された。約80人の患者。

2015年2月、結果報告 ── 「血中ウイルス量が少ない感染初期の患者では死亡率が30%から15%に半減、有効。ウイルス量の多い患者や小児では効果なし」。

部分的な有効性だった。だが、この結果が「次の RNA ウイルス危機」での再登場を予言することになる。


「5月承認」── 2020年の熱狂

2020年3月11日。

中国国務院共同予防管理機構の 張新民 (中国科学技術部生物センター主任) が研究成果を発表した。

武漢の COVID-19 患者でアビガンを投与した群と非投与群を比較し、核酸が陰性化するまでの中央値は投与群4日、非投与群11日

3-4日で陰性化 ── 日本のメディアは一斉に飛びついた。

2020年3月28日、安倍首相は記者会見で「ウイルスの増殖を防ぎ、既に症状改善に効果が出ているとの報告もある」と述べ、承認目的の治験開始と増産を表明した。

そして 2020年5月4日。緊急事態宣言を5月末まで延長する会見で、首相はさらに踏み込んだ。

今月中の承認を目指したい。一般の企業治験とは違う形での承認の道もある。

「5月中の承認」── これが薬事行政の歴史に刻まれる発言になる。

並行して、藤田医科大学を中心とした 観察研究が拡大していた。5月26日中間報告時点で 登録患者 2,158例、投与開始後7日目改善率は軽症 73.8%、中等症 66.6%、重症 40.1%。

数字は希望的に見えた。だが、致命的な問題があった。


単盲検試験が壊した夢

2020年5月末、5月承認は事実上断念された。厚労相は「治験を継続する」と表明したが、約束された期限は過ぎていた。

なぜ承認できなかったのか。

2020年10月16日、富士フイルム富山化学が「新型コロナウイルス感染症に係る効能・効果」を追加する 製造販売承認事項一部変更承認申請を提出。

2020年12月21日、厚労省 薬事・食品衛生審議会 医薬品第二部会。

現時点では、有効性を明確に判断することは困難

継続審議の決定。理由は ──

問題内容
単盲検試験治験医師がどの患者にアビガンを投与したかを把握できる形で行われた。プラセボ効果やバイアスが排除できない
観察研究の限界対照群の設定が困難、症例の偏り
エンドポイントウイルス陰性化までの時間は短縮されたが、臨床的有意性は不明確

「データはある、しかし 科学的に有効性を判定できない」── これが審議会の結論だった。

なぜ最初から二重盲検にしなかったのか。5月承認という政治目標が3月末に示された時点で、二重盲検試験 (プラセボ製造、盲検化手順、IRB再審査) を整える時間は残っていなかった。アビガンは政府備蓄品で流通量が限られ、プラセボ群への分配も実務的に困難。

加えて、藤田医科大学では既に 2,000例規模の観察研究が走っており、ここから対照群付きの二重盲検へ切り替えるのは現実的に難しかった。速さを優先した試験設計が、後で 「判定不能」を生む構造になった ── COVID 初期に世界各国で繰り返された失敗パターンの、日本版だった。

その後 2021年を通じて、富士フイルムは追加治験を継続。だが 2022年3月11日、富士フイルムは国内臨床試験の新規投与終了を発表した。

オミクロン株の流行により、アビガンが重症化を防いだかという検証が難しくなっている。治験の条件となるワクチン未接種者も減っている。

オミクロンはアルファ・デルタ株より軽症化し、重症化率は数% → 0.数%まで低下。ベースラインが下がると、薬の効果差を統計的に検出するには 桁違いに多くの症例数が必要になる。

加えて、ワクチン接種者の重症化率はもともと低く、アビガン治験の対象 (ワクチン未接種・高リスク患者) は物理的に枯渇していた。「重症化する患者がほぼいない世界で、重症化を防ぐ効果は測れない」── 治験設計そのものが成立しなくなった。

事実上の COVID-19 開発撤退。「届かなかった薬」が確定した瞬間だった。


海外承認なき国産薬 ── 特例承認の網からこぼれて

アビガンが届かなかった理由は、前章で見た データ不足 だけではない。仮にデータが十分でも、該当する制度枠がそもそもなかった ── という、もう一つの壁があった。

日本の医薬品承認には 2020年時点で、通常承認と並んで 特例承認 (薬機法14条の3) という緊急時の枠があった。

特例承認 (14条の3) の要件
(1) 疾病のまん延その他の健康被害の拡大防止のため緊急に輸入する必要
(2) 通常の承認手続・要件を一部満たさなくても承認可
(3) わが国と同等の水準の承認制度のある国で販売などが認められている医薬品

このうち最後の「海外で承認済」要件は、特例承認の 入口に置かれた壁だった。海外承認がなければ、データの中身を評価する段階より前に、制度的に対象外となる。

アビガンは富士フイルム富山化学の 自社開発・国内専用品。海外承認はなく、エボラ用の臨床試験 (JIKI) も承認には至っていない。入口の壁を通れず、特例承認の俎上にも乗らなかった(俎上に乗ったとして本評価で通ったかは、前章のデータ問題が示す通り別問題である)。

仮に有効性データが十分でも、国内開発の薬は「海外で先に売られていないから」という理由で緊急承認できない ── これは制度の構造的な穴だった。

COVID ワクチンと特例承認

一方、COVID-19 ワクチンは特例承認で通った。

ワクチン特例承認日
ファイザー社 コミナティ2021年2月14日
武田/モデルナ社2021年5月21日
アストラゼネカ社2021年5月21日

これらはいずれも 米国・EU で先行承認済。「海外承認済」要件をクリアし、特例承認は機能した。

ファイザーは 2021年2月14日の特例承認から、わずか3日後の 2月17日には医療従事者向け接種開始。緊急時の対応として、特例承認は速度を発揮していた。

問題は、海外で承認されていない国内開発品には、この枠が使えないことだった。「アビガンが緊急時に届かなかった」のは、薬の中身よりも、制度の入り口の設計の問題だった。


2022年5月、緊急承認

2020年7月、厚労省は薬事制度の在り方に関する検討を開始。2021年5月、医薬品医療機器制度部会で議論本格化。2021年12月、とりまとめ。

そして 2022年5月13日。

「医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律等の一部を改正する法律」(令和4年法律第47号) が成立。5月20日公布、同日施行 (即日)。

新設されたのが 薬機法 第14条の2の2 ── 緊急承認制度。

三要件

要件内容
(1) 緊急性国民の生命及び健康に重大な影響を与えるおそれがある疾病のまん延を防止するため緊急に使用される必要
(2) 代替手段なし他に適当な方法がない
(3) データ要件安全性は確認、有効性は 推定 で可

期限と再評価

承認の有効期限は 2年以内。その間に Phase 3 等で有効性が確証されなければ、承認は取り消しになる。「仮免許」のような構造。

三段階体制の完成

承認区分対象要件
通常承認全医薬品有効性・安全性とも確認
特例承認 (14条の3、2009年〜)海外承認済の医薬品緊急時、通常要件の一部緩和
緊急承認 (14条の2の2、2022年〜)国内開発品も対象安全性確認・有効性は推定

「海外承認なき国産薬」という穴を、緊急承認が塞いだ。

効くなら、証明せよ」── 売薬法 で始まった薬機法の原則は、緊急時には「推定」まで譲ることになる。譲った先には、2年の再評価がある。証明は遅らせても、放棄はしない設計だった。


第1号は塩野義ゾコーバ

緊急承認制度施行から半年。2022年11月22日、第1号が承認された。

塩野義製薬「ゾコーバ錠」(エンシトレルビル、S-217622) ── 北海道大学との共同研究で生まれた、COVID-19 経口治療薬。3CL プロテアーゼ阻害薬。

経緯

日付出来事
2022年2月25日塩野義、旧「条件付き早期承認制度」で申請
2022年5月20日緊急承認制度施行 → 塩野義、申請を切り替え
2022年7月20日薬事分科会・医薬品第二部会合同会議「有効性の推定の条件を満たせない」── 継続審議
2022年11月22日緊急承認制度 第1号として承認

7月の継続審議は重要だった。「緊急承認制度が即発動するわけではない」── 審議会が「推定すら困難」と判断すれば、緊急承認は通らない。

11月の承認は、Phase 2b 部分 497例、Phase 3 部分 1,821例の速報データに基づいた。

評価項目結果
オミクロン株 5症状の改善時間約24時間短縮 (p=0.04)
薬価 (2023年3月15日保険適用)5日間1コース 約 51,851.80円

「24時間短縮」── 数字としては地味だ。だが、p=0.04で統計的有意性は確保された。「証明」ではなく「推定」で通る、緊急承認の典型例だった。

その後、ゾコーバは 2024年10月に曝露後発症予防の SCORPIO-PEP 試験で良好な結果、2025年6月に小児用量の追加申請 ── 順調にデータを積み増している。


届かなかった薬、届いた制度

序文に戻る。

2020年5月4日の「5月承認」発言から、緊急承認制度施行 (2022年5月20日) まで、ちょうど2年と16日

時期主体出来事
2020年5月4日政治「5月承認を目指す」
2020年12月21日科学「現時点で有効性判断困難」
2022年3月11日企業富士フイルム COVID-19 開発撤退
2022年5月20日立法緊急承認制度 施行
2022年11月22日行政塩野義ゾコーバ 第1号承認

「5月承認」は 政治の言葉にとどまった ── データが裏付けない以上、現実の薬事承認には届かなかった。

代わりに、2年後、データを審査する仕組み ── 安全性は確認、有効性は推定、2年の期限付き ── が、別の薬を通した。

これは「届かなかった薬が、届く制度をつくった」物語だ。アビガンの限界を糧に、塩野義ゾコーバが第1号として通った。両者は無関係に見えて、制度史の上では 連続した一本の線として並ぶ。

ただし、アビガンが 2020年時点で緊急承認制度の対象であっても、通ったかは別問題だ。ゾコーバが 2022年7月に「有効性の推定の条件を満たせない」として継続審議になったように、緊急承認制度は データの壁までは取り除かない。

アビガンが直面した 単盲検試験という方法論の限界は、制度を変えても解決しない問題だった。届かなかった理由は、制度の穴科学の壁の両方にあった。

そして「効くなら、証明せよ」(売薬法) で始まった薬機法の長い歴史は、もう一段、複雑になった。

節目キーフレーズ
売薬法 1914年効くなら、証明せよ
サリドマイド・スモン市販前審査と市販後監視の起源
薬機法 2014年iPS細胞が動かした法律名
薬機法 2019年改正論文は広告ではない、しかし牙は立つ
本記事 (薬機法 2022年改正)証明は遅らせても、放棄はしない

緊急承認は「証明」を否定しない。遅らせるだけだ。2年後の再評価が、原則を守る。

次は、2025年に成立した 販売制度見直し ── 医薬品のネット販売・要指導医薬品制度の再整理 ── を扱う予定だ。薬機法は、まだ動いている。


FAQ

緊急承認制度はいつから施行されたのですか?

2022年5月20日に同日公布・即日施行となりました。改正法の正式名称は「医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律等の一部を改正する法律」(令和4年法律第47号) で、2022年5月13日に成立。新設条文は薬機法第14条の2の2。COVID-19 の只中、検討開始から約2年で立法・施行まで進めた異例のスピード対応でした。

緊急承認と特例承認の違いは?

特例承認 (14条の3、2009年新型インフル時に整備) は 海外承認済の医薬品 を緊急時に承認する制度で、アビガンや国内自社開発の COVID-19 治療薬は対象外でした。緊急承認 (14条の2の2、2022年導入) は 国内開発品も対象で、有効性は「推定」でよく、2年以内に再評価される設計です。「海外承認済」という入口要件の壁を取り払ったのが核心です。

アビガンはなぜ承認されなかったのですか?

2020年10月の承認申請に対して、厚労省 薬事・食品衛生審議会 医薬品第二部会は 2020年12月21日、「現時点では有効性を明確に判断することは困難」として継続審議としました。理由は治験が単盲検試験で、医師がどの患者にアビガンを投与したかを把握できる形で行われており、プラセボ効果やバイアスが排除できなかったため。2022年3月11日、富士フイルム富山化学は国内臨床試験の新規投与終了を発表、COVID-19 開発から事実上撤退しました。

「有効性は推定でよい」とはどういう意味ですか?

通常承認では Phase 3 試験で 統計的に有効性を確証する必要がありますが、緊急承認では「有効性が推定される」程度のデータで承認可能です。ただし「推定」は無条件ではなく、薬事・食品衛生審議会が個別に判断します。塩野義ゾコーバの場合、2022年7月の審議では「推定の条件を満たせない」として継続審議となり、11月に Phase 3 部分の追加データで承認されました。安全性は通常通り確認が必要で、緩和されるのは有効性データだけです。

塩野義ゾコーバはどんな薬ですか?

塩野義製薬と北海道大学の共同研究で生まれた経口 COVID-19 治療薬。一般名エンシトレルビル、開発コード S-217622。3CL プロテアーゼ阻害薬で、ウイルスの複製を阻害します。2022年11月22日、緊急承認制度の第1号として承認。Phase 2b 部分 497例、Phase 3 部分 1,821例の速報データに基づき、オミクロン株 5症状の改善時間で約24時間短縮 (p=0.04) を示しました。薬価は 5日間 1コースで約 51,851.80円 (2023年3月保険適用)。

緊急承認後に有効性が確証できなかったら?

緊急承認の有効期限は 2年以内で、その間に Phase 3 等の追加データで有効性を確証する必要があります。確証されなければ、承認は取り消しとなります。「仮免許」のような構造で、長期的には通常承認と同じ科学的基準を満たすことが求められます。緊急承認は「証明を放棄する」のではなく「証明を遅らせる」設計です。

「5月承認」発言は法的にどう位置づけられますか?

2020年5月4日の安倍首相会見における「5月中の承認を目指したい」「一般の企業治験とは違う形での承認の道もある」発言は、政治的意思表明であり、法的拘束力はありません。実際の薬事承認は厚労省 薬事・食品衛生審議会の答申を経て厚生労働大臣が決定します。この発言が「政治の言葉」と「科学の言葉」の境界を可視化し、後の緊急承認制度創設の議論を加速させた、と評価できます。