1984年(昭和59年)、東京大学農学部。
藤巻正生 教授の研究室で、ある研究プロジェクトが立ち上がろうとしていた。
文部省特定研究 ──「食品機能の系統的解析と展開」。代表者は藤巻、当時67歳。
問いは、こうだった。
食品は、栄養を与える (一次機能) 。美味しさを与える (二次機能) 。そして、もうひとつ、何かを与えているのではないか。
体調を整える機能 ── 三次機能。
これは GuidelineChecker のコラム 30本目、薬機法シリーズの 8本目である。前回の 薬害エイズ、1985年 で、1979年薬事法改正で作った市販後監視制度が試された事件を辿った。今回は同じ時代、薬とは別の軸で動いていた制度の話 ── 四十六年通知 に20年後にできた 最初の穴の物語である。
46通知から20年
1971年6月1日、厚生省薬務局長の通知が出た。薬発第476号。
俗に「四十六年通知」と呼ばれるこの通知は、こう告げていた。「食品で効能効果を書いた瞬間に、その商品は薬とみなされる」。
判定の基準は4つ。①成分本質、②効能効果、③形状、④用法用量。1つでも医薬品的なら、その食品は 無承認医薬品として薬機法 (当時の薬事法) 違反になる。
そして20年が経った。
1980年代の日本は、「健康ブーム」のただ中にあった。
ジョギング、フィットネスクラブ、ナチュラルフード、サプリメント。「健康食品」「自然食品」と銘打った商品が、街にあふれた。錠剤・カプセル・飲料 ── 医薬品的形状を慎重に避けながら、健康効果を匂わせる売り方が氾濫した。
業界は、ジレンマに直面していた。
「痩せる」「血圧が下がる」と書けば違法。書かなければ、売れにくい。健康効果を消費者に伝えたい。だが伝えた瞬間に、46通知に引っかかる。
「46通知の枠の中で、効能を語る方法はないのか」── 業界の問いに、まだ答えはなかった。
食品の三次機能
その答えを学術側から準備したのが、藤巻正生だった。
1984年から1986年までの3年間、文部省は 特定研究として「食品機能の系統的解析と展開」を推進した。代表者は東京大学農学部の藤巻、参加大学は十数校。これは 世界で初めて「機能性食品」という概念を提唱した研究だった。
研究が打ち出したフレームワークは、シンプルだった。
| 機能 | 内容 |
|---|---|
| 一次機能 | 栄養 (糖質・タンパク質・脂質・ビタミン・ミネラル) |
| 二次機能 | 嗜好性 (味・香り・色・食感) |
| 三次機能 | 体調調節 (健康維持・疾病予防) |
「食べ物は、栄養と美味しさだけではない。体調を整える機能 (三次機能) がある」── そう日本の食品科学者は世界に先駆けて言った。
1987年、厚生省の白書に「機能性食品」の概念図が掲載される。
研究は、第2期 (1988-1990年、京都大学・千葉英雄)、第3期 (1992年以降、東京大学・荒井綜一) と続き、学術基盤を厚くしていく。三次機能は、もう仮説ではなかった。データで支えられた科学的概念になりつつあった。
業界が探していた「46通知の枠の中で効能を語る方法」── その理論的根拠が、ここに揃った。
制度化の三段階
学術成果は、制度に翻訳されなければ、業界には届かない。
1988年、厚生省は「機能性食品懇談会」を設置する。座長は 阿部達夫、東邦大学名誉教授。学識経験者を集めて、「食品が効能効果を表示する制度的枠組み」を検討する場だった。
1989年、懇談会は中間報告を出した。「体調調節機能を持つ食品を、社会のニーズに応えて積極的に活用すべきである」。
翌1990年、厚生省は「機能性食品検討会」を設置する。今度は、より制度設計に近い場だった。検討会は、具体的な制度案を厚生省に提言した。
3年間の研究 → 1年の懇談会 → 1年の検討会 → 立法へ。
20年間放置されていた46通知の壁に、ようやくドリルの先が当たった瞬間だった。
1991年7月、世界初の制度
1991年(平成3年)7月、厚生省告示。
栄養改善法 (1952年制定) の改正によって、新しい制度が施行された。
特定保健用食品 ── 略して トクホ。英語名は FOSHU (Foods for Specified Health Use)。
世界初の機能性食品認証制度だった。
仕組みは、こうだった。
国が個別審査をして、有効性と安全性に科学的根拠があると認めた食品に限り、限定的な健康表示を許可する。表示できる効能は、たとえばこういう形になる。
「○○を含み、おなかの調子を整えるのに役立つ食品です」。
医薬品のように「治す」「治療する」とは書けない。だが、46通知の枠を一歩だけ越えて、「役立つ」と書ける。
許可された食品には、独自のマークがつけられた。両手を広げた人物像 ──「健康と活力」を象徴するデザイン。中央に「厚生省許可」(後に「厚生労働省許可」、2009年からは「消費者庁許可」) の文字。
このマークは、店頭で消費者が「これは特別な食品だ」と認識する目印になる。
46通知の壁の本体は、無傷で残った。だが、その壁に、世界で初めて、国家が制度として穴を開けた。
病者向けから始まったトクホ
1993年(平成5年)6月、最初の2品目が認可された。
資生堂の低アレルゲン米 (アトピー性皮膚炎患者用)、森永乳業の低リン粉ミルク (慢性腎不全患者用)。
意外な顔ぶれだった。1980年代の健康食品ブームで街にあふれた、健常者向けの「健康ドリンク」とは違う。病者の食事を改善する商品だった。
理由は、トクホが既存の「特別用途食品」── 乳児用・妊産婦用・病者用の特別な食品制度 ── の中に組み込まれて誕生したことにある。最初の認可が病者向けだったのは、制度の出自が病者向けだったからだ。
健常者向けトクホが姿を現すのは、その4ヶ月後だった。
1993年10月、サントリーの 「ヨグリーナ」 (キシロオリゴ糖を配合した乳酸菌飲料)。続いて同年中に、カルピス食品工業の 「オリゴCC」 (大豆オリゴ糖を配合した炭酸飲料)。
初期トクホの中心テーマは、オリゴ糖だった。
乳酸菌そのものを摂る プロバイオティクスではなく、腸内善玉菌のエサになる糖 ── プレバイオティクスが先だった。オリゴ糖はヒトの消化酵素で分解されにくく、大腸まで届いてビフィズス菌の増殖を促進する。「おなかの調子を整える」働きの 科学的根拠が、当時の技術で揃えやすかったからである。
トクホの審査は厳しい。ヒト試験のデータ、成分の安全性試験、長期摂取試験。許可までに 数年・数億円規模のコストがかかる。だから最初に並んだのは、根拠データを揃えられる成分と、明確な患者群だった。
1996年には大塚製薬の 「ファイブミニ」 (食物繊維飲料) が認可される。健常者向けトクホ市場が、ゆっくり育ち始めていた。
政府がヤクルトに頭を下げた、1998年
トクホ制度は、走り出して数年、思ったほど世間に浸透していなかった。
理由はいくつかあった。許可までに 数年・数億円かかる審査の厳しさ。第1号が病者向けで地味だったこと。健常者向けのヨグリーナ・オリゴCC・ファイブミニはあったが、いずれもニッチ商品の域を出なかった。スーパーの棚で「両手を広げたマーク」を見たことのある消費者は、まだ少数だった。
世界初の制度が、認知されないまま埋もれかけていた。
厚生省は、業界最大手に頭を下げた。
ヤクルト本社 ── 1935年に医学者 代田稔が乳酸菌「シロタ株」を培養して以来、戦後の保育園・幼稚園を通じて「ヤクルトおばさん」(後のヤクルトレディ) の訪問販売網を全国に張り巡らせた、乳酸菌飲料のリーディングカンパニーである。
「御社の主力商品でトクホを取って、制度を消費者に届けてほしい」── そういう打診があったと記録される。
ヤクルト本社が動いた。
1998年5月26日、定番商品「ヤクルト」がトクホ表示許可を取得する。シロタ株が「生きて腸に届き、おなかの調子を整える」── 制度の枠内で書ける効能を、ヤクルトはまっすぐ書いた。同年11月、続いて「ヤクルト400」(許可番号176)、「ヤクルト400LT」(同177) が認可される。
転換点はここからだった。
約8万人のヤクルトレディが、トクホマークがついた小さなボトルを毎朝、日本中の家庭・職場・保育園に届け始めた。「世界初の機能性食品認証制度」が、コンビニやスーパーの陳列棚ではなく、玄関先の手渡しから、日常に浸透していった。
2000年代に入る頃には、両手を広げたマークの意味を、多くの消費者が知るようになっていた。
その後の系譜
トクホは、その後、いくつもの試練と派生を経た。
2003年、花王の「ヘルシア緑茶」が「体脂肪が気になる方へ」のキャッチコピーで初年度200億円を売り上げ、トクホ茶ブームが始まる。
2009年、花王の「エコナ」がグリシドール脂肪酸エステル問題でトクホ許可の失効届を提出する。同年、消費者庁が発足し、トクホの所管が厚労省から移った。
2015年、安倍政権の規制改革で「機能性表示食品」制度が施行される。トクホの個別審査ではなく、事業者の届出で済む規制緩和版だった。2017年には届出件数がトクホ許可件数を超える。
2024年3月、小林製薬の 紅麹サプリで5人が死亡し、機能性表示食品制度の見直しが始まる。届出制では事業者責任が不十分との批判が、社会に広がる。
それぞれの物語は、また別の機会に語る。
46通知の穴
1914年の売薬法が、「効くなら、証明せよ」と言った。
1951年の覚せい剤取締法が、効きすぎる薬を「物そのもの」で禁じた。
1962年のサリドマイドと1970年のスモンが、1979年の薬事法改正に「売る前に審査し、売った後も監視せよ」と書かせた。
1971年の四十六年通知が、「食品で効能を書いたら、薬とみなす」と告げた。
そして1991年、藤巻正生が1984年に提唱した「食品の三次機能」が、46通知の壁に世界初の穴を開けた。
「食べ物は、栄養 (一次) と美味しさ (二次) だけではない」── 東大農学部の研究室から始まった一行の発想が、20年放置されていた制度の壁を動かした。
学術と制度が、こうして接続した。コンビニの棚で、両手を広げた人物のマークがついたペットボトルを手に取る ── そのたびに、私たちは1984年の研究室と、1991年7月の告示を、知らずに通過している。
FAQ
特定保健用食品 (トクホ) とは何ですか?
国が個別審査して、有効性と安全性に科学的根拠があると認めた食品に限り、限定的な健康表示を許可する制度です。1991年7月、栄養改善法の改正によって創設された 世界初の機能性食品認証制度で、英語名は FOSHU (Foods for Specified Health Use)。表示できる効能は「○○を含み、××に役立つ食品です」型に限定され、「治す」「治療する」など医薬品的表現は禁止されています。許可された食品には両手を広げた人物像のマーク (現在は「消費者庁許可」) が付きます。
なぜ1991年に作られたのですか?
1971年の四十六年通知 (薬発第476号) で「食品で効能効果を書いたら薬機法違反」というルールが定まった一方、1980年代に健康食品ブームが起き、業界は「効能を語りたいが書けば違法」というジレンマを抱えていました。1984-1986年、東京大学農学部の藤巻正生を代表とする文部省特定研究「食品機能の系統的解析と展開」が、世界で初めて「食品の三次機能 (体調調節機能)」概念を提唱。これが学術的根拠となり、1988-1990年の厚生省機能性食品懇談会・検討会を経て、1991年に制度化されました。
最初に認可されたトクホは何ですか?
1993年6月、資生堂の低アレルゲン米 (アトピー性皮膚炎患者用) と森永乳業の低リン粉ミルク (慢性腎不全患者用) の2品目が最初に認可されました。トクホが既存の「特別用途食品」(乳児用・妊産婦用・病者用) の中に組み込まれて誕生したため、第1号は病者向けでした。健常者向けの「おなかの調子を整える」トクホが現れるのはその4ヶ月後の1993年10月、サントリー「ヨグリーナ」(キシロオリゴ糖配合の乳酸菌飲料) からです。続いてカルピス食品工業「オリゴCC」(大豆オリゴ糖配合の炭酸飲料) も認可されました。
トクホと機能性表示食品はどう違いますか?
トクホ (1991年創設) は国が個別審査して許可する制度で、ヒト試験データを含む科学的根拠が必要、認可までに数年・数億円のコストがかかります。機能性表示食品 (2015年創設) は事業者が科学的根拠を消費者庁に届出するだけで表示可能で、認可期間は60日、コストも数百万円から。後者は規制緩和版として作られ、2017年には届出件数がトクホ許可件数を超えました。2024年の小林製薬紅麹事件を受けて、機能性表示食品制度の安全性基準が大幅に強化されています。
46通知はトクホ制度ができたあとも残っているのですか?
はい、無傷で残っています。トクホ・栄養機能食品 (2001年創設)・機能性表示食品 (2015年創設) は すべて46通知の例外として位置付けられています。これらの制度に基づいて許可・届出された食品は医薬品とみなされませんが、それ以外の食品が「血圧を下げる」「がんに効く」などと表示すれば、いまも46通知の4要素テストで「無承認医薬品」と判定され、薬機法違反になります。半世紀以上前の局長通知が、いまも食品広告審査の屋台骨であり続けています。